250話 『旅する力 深夜特急ノート』の読書ノート 第四話

 先人の文章 竹中労



 文庫版の『深夜特急1』の巻末にある山口文憲との対談で、ロンドンまでの旅行前に影響を受けた人や本として、小田実の『なんでも見てやろう』を別格に、竹中労壇一雄。そしてシルクロードを旅していた平山郁夫江上波夫井上靖の3人の名をあげている。
 私はシルクロードには興味はないので、現在に至るまで、平山ら3人の本は読んだことがない。『なんでも見てやろう』を読んだのは、ある程度旅をしてからなので、旅行記としては高く評価するものの、私の旅そのものには何ら影響を与えていない。
 さて、竹中労だ。1970年代前半に雑誌「話の特集」に連載していた竹中のアジアルポを、沢木も読んでいたようだ。「沢木も」というのは、もちろん私も 読んでいたからだ。「話の特集」で、竹中が東南アジアのルポ「汎アジア幻視行」を書き始めたのは、1973年6月号からで、10回も続かずに終了してい る。その文章は、おそらく単行本には収録されていないと思う。竹中のその連載が始まるちょっと前、73年3月号の「話の特集」では、鶴見良行の「東南アジ アを歩いて考える」というエッセイがあり、東南アジアに関する座談会も載っている。
 このころになって、雑誌に載るアジアに関する文章が、学者が書く退屈なだけの理屈論文から、徐々にレポートへと変化し始めていた。その先鞭となったの は、竹中のようなごく一部のルポライターと、べ平連系の若者たち(「心情べ平連」も含めて)だった。雑誌名でいえば、「世界」や「中央公論」から、「話の 特集」や「面白半分」や「現代の眼」へ広がり、アジアの話が多面的になってきた。要するに、おもしろくなってきたのだ。
 インド亜大陸をさまよってみたいと思って日本を出た私が、のちに関心地域が東南アジアへと変化する要因のいくらかは、ホンの少しではあるにせよ、竹中の 文章にある。最初に読んだ竹中の本がどれだったかもはや思い出せないが、「話の特集」や「えろちか」といった雑誌原稿も含めて、1970年代は竹中の本を かなり読んだ。竹中の文章に感銘を受けたというわけではない。内容的に全面的に同意するというわけでもない。美文調やアジテーションの文章に、うんざりさ せられることもあった。それでも、つい手を出してしまう不思議な魅力があった。竹中に不思議な魅力を感じた人は出版界にも少なからずいて、だからちくま文 庫などで彼の著作が復刊されている。しかし、あまり売れないから間もなく絶版になり、だが根強いファンはいて、古書はかなり高い値がついている。
 講演会などで、竹中のアジア話は何度か聞いているが、一度だけ、ほんの一瞬だけ言葉を交わしたことがある。1975年ごろの新宿だったと思う。竹中のア ジア旅行の報告会と記録映画「アジア懺悔行」の上映会に出かけたときだ。どういたわけか、開演時間を勘違いしていて、会場についたら後片付けをしていると ころだった。受付けで、今後の映画上映の予定などを聞いていると、剃髪して入道となった竹中が突然姿を見せた。
 「時間を間違えるバカをやって、今ついたところです。講演を聞けなくて残念です」というと、竹中は「そりゃ、お気の毒でしたね」と微笑んだ。やさしい笑顔だった。それだけのことだ。