297話  我田引水の文化論は、ろくでもない結果を生む  前編

 書店で、もう少していねいに内容を点検してから買えばよかったと、後悔している。私は、本を選ぶ才能がないのだろうか。しかし、ライターは「転んでも、タダでは起きない」。つまらない本を読んでも、コラムのネタを握りしめて、すっくと立ち上がったのである。
 ここで取り上げたいのは、『韓国人の作法』(金栄勲、金順姫訳、集英社新書、2010)のことだ。外国人からよく受ける韓国の文化や社会に対する64の疑問に、韓国の学者が答えるという内容の本なのだが、読んでみればけっこう「トンデモない」本だった。
 内容に入る前に、訳文について書いておく。私はもう何度も書いているのだが、はっきりいって、韓国関連の文章を書く人の言語感覚は最低である。韓国語の単語をカタカナで表記するのは、ハングルが読めない日本人のためだという基本がわかっていないから、「カクトゥギ」や「コドゥルベギキムチ」(原稿ではクとルを小さく打ったのだが、このブログフォームでは、どうやらそのまま表示されないらしい)のような奇妙なカタカナ表記が現れるのだ。韓国語会話の教科書でやるなら、ローマ字や数字が入った文章だろうが、自由に表記すればいいが、一般書で、こういう表記をするべきではない。こういう変なカタカナでもっとも多いのは「キムチ」(ムを小さく)だ。kimuchiではなく、kimchiだからと、「mのあとに母音がないから、ムを小さく書く」というようは表記を、韓国語(朝鮮語)教師が考えついて、授業か教科書で使い始めたのだろうが、そういう変則表記を一般書でするべきではないということが、なぜわからないのか。かつては、タイ語でもインドネシア語でも、母音のない子音は小さく表記していた人がいたが、いまはなんとか淘汰された。
『「韓流」と「日流」』(NHKブックス、2010)の著者は、自分の名を「コン・ヨンソク」から「クォン・ヨンソク」と表記を変えたことを誇らしげに書いているが、どっちみち日本人には「コン」か「クオン」としか発音できない。ローマ字で「Lee」と書いて、外国人に「イ」と読ませるのも傲慢である。このあたり、タイ人も同じなので、別の機会に改めて書く。
 さて、本の内容だ。著者紹介を要約すると、「1963年生まれ。韓国の大学卒業後、アメリカへ留学。現在、梨花女子大学国際大学院副大学院長。文化人類学博士」というインテリということなのだが、「なに、これ?」という内容なのである。韓国人が「お国自慢病に侵されると、こんなことも口走る」という例がいくらでもでてくるが、そのいくつかを紹介する。
●最初から、世に有名な「ハングル自慢」が始まる。韓国人と多少なりとも付き合いがあると、この「ハングル自慢」に出会うことになり、ネット上でも「ハングル自慢」で検索できるほど、話題が多い。
 ハングルは「24個の子音と母音は形によって区別できる唯一の文字であり、表音文字として地球上の他のどの文字よりも多くの音を表すことができる文字として知られている」(P30)
英語ではabcのように、母音も子音も同じ文字だが、ハングルは世界で唯一、母音と子音とは形がまったく違うと自慢しているのだが、著者はタイ語などインドシナ半島の文字を知らないようだし、母音と子音の区別が簡単にわかるということがそれほど偉大なことなのか、私にはよくわからない。
 私が初めてこの「ハングル自慢」に出くわしたのは、韓国取材を手伝ってくれた通訳のお国自慢の話のなかでだった。通訳は、移動中に「ハングルは世界のありとあらゆる言語を正確に表記できる偉大な文字です」などと話しだした。それまでは「はい、そうですか」と聞き流していたのだが、自慢話があまりにも長く続くものだから、うんざりして、つい反論してしまった。
「それじゃ、金メダルと銀メダルを書き分けてください。RとLの表記も」
 通訳は絶句した。ハングルは清音と濁音の区別がないのだ。RとLの区別もない。声調ももちろん表記できない。ハングルは韓国語(朝鮮語)のための文字だから、それでいいのだ。
●韓国の国土はけっして狭くないと言いたくて、こういう珍論を紹介する。
ナショナルジオグラフィック協会の雑誌(1945年10月号)に興味深い記事が見られる。山の多い韓国をアイロンで平たく伸ばしてみると、地球を包み込んでも余るという話なのだ」(P32)
さすが、NGM(ナショナル・ジオグラフィック・マガジン)。ネット古書店で調べたら、この1945年10月号が簡単に入手できることがわかったが、「アイロン説」が本当に出ているかどうか確認する必要もないだろう。韓国と北朝鮮の面積は、地球の表面積の2328分の1なのだ。そういう計算をしなくても、地球儀が頭に浮かべば、このアイロン説がいかにいいかげんなものかすぐにわかるはずなのに、わざわざこの本で取り上げた理由は、それが世界に知られたNGMだからだ。韓国人は、西洋人に弱い。権威に弱い。アメリカの雑誌を引用すれば、内容は確実と思っているらしい。
●韓国の高級車に黒色が多いのは、日本の植民地時代に警官や憲兵が黒い制服を着ていたせいで、黒が権威の象徴と認識されたせいだ(P125要約)
 まずは、日本の警官や憲兵の制服は黒だったと証明しないといけないし、世界の公用車や社長専用車に黒が多いのも、日本の警官と憲兵のせいだと証明できないと、著者の説は屁理屈や言いがかりでしかない。
●「キムチの辛い味もそうだが、外国人を驚かせるのはキムチの種類である。白菜キムチ以外にも数多くの種類のキムチが消費されているからだ。キムチに使われる野菜の種類だけでなく、地域的な特性によって多様なキムチがあるのだが、ある学者によるとフランスのチーズよりずっと多いということだ」(P129)
 キムチを「フランスのチーズ」と比較して自慢しようというあたりが、西洋コンプレックスの好例である。
●フランスを、もうひとつ。韓国の「壮大な規模のマンション群を見て、研究を始めたというあるフランスの地理学者の本のタイトルが、マンションならぬ『アパート共和国』である。比率から見ると、韓国人は世界のどの国の人よりもマンションに多く住んでおり、その数は他の追随を許さないレベルだ」(P142)
フランス人を持ちだすと箔がつくと思っているあたりが、西洋人という権威に弱いことがよくわかる。著者はシンガポールの住宅事情を知らないらしいし、モナコのことも知らないらしい。
 おかしな個所はまだあるが、このくらいにしておこう。こうして正誤表のような箇条書きを書くと、この韓国人学者は、学者としての最低限の情報点検もできていないことがわかる。韓国人でもなく、学者でもなく、韓国のことなどろくに知らない日本人ライターに、簡単に齟齬を見つけられるようではいけない。
 韓流ファンは、私のこの文章に「ひどい言いがかりだ」と腹を立てるかもしれないし、ネット右翼のような人は「その通り!」と大喜びで賛同するかもしれない。この『韓国人の作法』を読みながら私が感じたことは、長くなったので次回に改めて書く。