305話  第五帝国の「木の葉の海」 その2

 スペインからポルトガル北部に入り、徐々に南下してリスボンに着いた。宿に荷物を置いて、すぐさまタワーレコードに行こうとオウロ通りを歩いていたら、路上で歌声が聞こえてきた。建物の前に腰をおろして歌っているのは、なんとドナ・ローザばあさんではないか。ポルトガルに行くという話を音楽評論家の北中正和さんにしたら、「こんな音楽もありますよ」というメモとともに贈ってくれたのが、ドナ・ローザばあさんのCDだった。トライアングルを鳴らしながら歌う盲目の路上歌手だ。
 タワーレコードで、ファドをはじめポルトガルの音楽やアフリカの音楽を点検したあと、店内のデスクに向かっていた主任らしき男に、「ちょっと教えて欲しいのですが・・・」と、要件を切り出した。
「キント・インペリオというバンドのCDを探しているのですが、あります?」
「それ、ポルトガルのバンドですか? ブラジルじゃなく?」
「ええ、ポルトガルです」
「聞いたことないなあ。そんなバンドのCDは発売されてないと思いますよ」
「いや、あるはずです」
ポルトガルで発売されるCDは、それほど多くはないから、出ていれば必ず知っていますよ。音を聴いていなくても、資料で読むとかね。まるで知らないということは、そんなバンドのCDはないという・・・、あれ?」
 パソコンのキーボードをたたいていた男の指と目が止まった。
「あれ、あった。なんだ、こんなCDは知らないぞ」
「mar de folhasでしょ」
「そう」
「それは持っているので、ほかに出ていれば買いたいと思ってリスボンに来たんですよ」
「これが1枚出ているだけですね。でも、おかしいなあ、なんで知らなかったんだろうなあ」
 主任は、しきりに首をかしげていた。
 リスボンの街でもう一軒、比較的大きなCDショップに行って、同じ質問をしたら、やはり同じ解答だった。
「そんなCDは、発売されていませんよ」
「いや、少なくても1枚は出ています」
「ほかの国じゃないですか。そんなCDは・・・、あれ、あった! なんだこれ?」
 若社長らしく30代の男も、パソコンで検索しながら私の話を聞いていて、あるとは思えないCDを見つけてしまったのだ。
ポルトガルで発売されているCDは全部知っているはずだから、これは限定盤か、なにかの記念盤といった性格のCDじゃないかなあ」
 リスボンの私の宿は、旧市街のアルファマ地区にあり、ベランダから何にもさえぎられずにテージョ川が見える。その風景が欲しくて探した宿だが、もうひとつ好都合なことに、宿のすぐそばにファド博物館がある。もちろん、リスボンに着いてすぐに行ったが、その数日後にもう一度行きたくなった。博物館には、往年のファド歌手の歌声がヘッドフォンで聴ける機械があって、片っぱしから聴いていって、気にいった歌手がいれば、その名前をメモしておいて、あとでCDを買いに行こうという策略である。
 機械を独りじめするのは申し訳ないので、試聴は30分くらいで終えた。やはり、男の歌手はおもしろくない。ファドも、タイやラオスのモーラムも、鍛えたおばさん声がいい。
 1階の博物館ショップの脇に、CDショップがあるのに気がついた。すでに試聴したからか、それとも職員が自宅で聴いたCDを持ってきてここで売ろうということなのか、たいていのCDはすでに封が切られていた。ファドのCDだけではなく、アメリカ音楽のCDも混じっているから、職員が売る中古CDショップに近いのだろう。それでも、なにか掘り出し物があるかもしれないとCDをチェックしていくと、宝があった。あの第五帝国のCDが、ガラクタのようなCDのなかに混じっていたのだ。シングルCDのおまけ付きで、価格ははっきりとは覚えていないが、たぶん日本円で2千数百円だったと思う。すでに持っているCDだが、おまけのシングルCDは持っていない。高いおまけになるが、もう2度と巡り逢えないかもしれないので、涙を飲んで買った。