327話 ザ・ブルー・ダイアモンズって、知っていましたか?

 ラジオのスイッチを入れたら、漫画家の弘兼憲史の声が聞こえ、番組のゲストはニッポン放送の元アナウンサー斉藤安弘(通称アンコー)で、なにやら1960年前後あたりの音楽について語っているらしい。
 ポップミュージックが大好きなアンコー氏は、大学生時代にアルバイトをして初めて買ったレコードの話をしていた。ザ・ブルー・ダイアモンズの「ラモーン」というレコードを買ったというのだが、このバンド名にも曲名にもさっぱり記憶がない。1950年代から60年代の欧米ヒットソングは、アンコー氏よりもだいぶ若い私も当時からある程度は聴いているはずで、のちに「オールデイズ」のCDを買っているから、ヒット曲なのに私が知らないというのはどうしたわけだ。アメリカやイギリスではヒットしたが、日本では話題にもならなかったというならわかるが、当時の貧乏大学生は日本盤のレコードを買うのが常識だから、日本でもヒットしていたということらしい。
 アメリカン・ポップスにはさほどの興味があるわけではないので、ほとんど気にもかけずにふたりの会話を聞き流していたのだが、弘兼氏の発言にびっくりした。
「たしか、フィリピンのバンドでしたねえ」
「はい、そうです」と、アンコー氏。
 おいおい、待てよ。1960年前後に、日本でフィリピンのバンドがレコードを出して大ヒットしたのかい? そんな話、まったく知らない。アジアのミュージシャンがからむ話なら、調べないわけにはいかない。すぐさま、パソコンのスイッチを入れた。
 The Blue Diamondsというバンドのプロフィールは簡単にわかった。フィリピンのバンドではなく、インドネシア系オランダ人兄弟のデュオだった。以下、ネット情報をつぎはぎして紹介するが、このようなファンサイトもあるくらいメジャーなグループだった。
http://www.bluediamonds.nl/gb_blue.html
 兄のRuud de Walff(1941〜2000)と弟のRiem de Walff(1943〜 )の兄弟は、ともに”Batavia”の生まれだという。インドネシアジャカルタの旧名だ。1949年にオランダに移住したという。オランダとの独立戦争をへてインドネシアが独立したのが49年で、de Wolffというオランダやドイツにある姓を名乗っていることを考えると、政治的にオランダ側にいた家族なのだろう。植民地が「インドネシア」として独立したので居られなくなり、オランダに脱出したといういきさつが推測できるが、もちろん事実はわからない。
 この兄弟は初めはハワイアンなどを演奏していたようだが、59年にエバリー・ブラザーズの”Till I kissed you”のカバーでレコードデビューし、翌60年に“Ramona”が大ヒットした。オランダで25万枚、ドイツで100万枚という空前の大ヒットだったらしい。この歌は、アメリカ映画”Ramona”(主演:Dolores de Rio、1928。1927年とした資料もある)のカバーだった。この映画が日本でどれほど話題になったはわからないが、ディック・ミネがカバーして、1936年にレコード化している。それがいま、YouTubeで聴くことができる。原曲とは違ってハワイアンにアレンジされている。
http://www.youtube.com/watch?v=WykLNrlOiow
 原曲やディック・ミネのバージョン、そして、ブルーダイアモンズの動画などすべてYouTubeで”Ramona”で検索すれば見ることができる。
http://www.youtube.com/watch?v=ElHHM9QGOMs&feature=list_related&playnext=1&list=AVGxdCwVVULXfnu7yNxTgmTGnTDG4RYgf-
 日本でも、60年か61年にシングル盤で発売されている。ジャケット裏の解説によれば、メンバーは「リームとラディという兄弟」のデュオだとカタカナ表記されているが、多分誤記だろう。          
昔はレコードが高かったというのは私も体験的に知っているのだが、このレコードの売価350円はやはり高い。当時は、映画館の入場料が200円、ラーメンが50円、銭湯の入浴料が30円ほどだ。シングル盤でさえ、ラーメン7杯分の価格だ。
というわけで、ひょんなことから、世界音楽研究のヒントをもらった。