339話 間取り図を読みたい

 新聞の折り込み広告のなかで、見もせずに捨てるのは、求人と墓地の広告くらいだろう。スーパーマーケットなどの実用情報は、行きつけの店だけ残し、あとは見ずに捨てる。ちょっとでも安く買うために、えらく遠い店まで遠征するタチではない。買う気はないし、買う金もないが、一応気になって眼を通すのが不動産広告である。いつか買いたいと憧れの気持ちで見るのではない。間取り図を読むのが好きなのだ。
 私は、実用情報を得るために不動産広告を読むわけではないので、普通のサラリーマンが買える物件には興味がない。新築の建て売りなら、どれも同じような間取りなので、おもしろくない。だから、中古物件に注目する。
 世間には間取り図が好きな人がいるとみえ、『間取りの手帖』(佐藤和歌子リトルモア、2003)は、出版と同時に買った。以後、類似本も出ている。変な間取りの部屋を集めたものだが、すべて同一人物の手で清書された図なので、リアリティーがない。冗談で創作した間取り図集かもしれないという疑惑を抱かせる本なのだ。もしもチラシの図をそのまま載せて、「板橋区 2001年採集」といったメモでもあればいいのだが、そういうディテイルに欠けていた。考古学や生物学と同じで、採集状況がわからなければ、資料的価値がない。
 おもしろい中古物件は、増築物だ。いままで見た珍物件の説明を文章で書いてみたが、文章だけではなかなかに難しいので、詳しい説明はやめる。簡単に言うと、階段が2か所ある家で、2階の部屋は互いに行き来できない。二世帯住宅風なのだが、2階の奥の部屋に行くには、一階の4畳半の和室を抜け、6畳の洋室を抜け、8畳の洋室の脇についている階段を上るのである。廊下の無い家なのだ。
 もし我が家が東京の世田谷や港区などにあれば、超高額物件の広告を目にすることもあるだろうが、私が住んでいる郡部では、高額住宅などめったにないが、珍品はある。都心まで3時間ほどかかる地域にある600坪の家だ。家の間取りを見ると、あきらかに農家の家だ。築5年だが、都会の人間には住みにくい、無駄に広い家だ。敷地内に納屋兼駐車場があり、2階は住まいにも使える。この家の長男か次男かが、会社を作ったらしい痕跡がある。同じ敷地内に、事務所が建っているのだ。1階は駐車場、2階は広い空間がある。9800万円の物件だ。
 こういう間取り図を読んで、元住人の生活を想像する。あるいは、もし自分が買ったとすれば、この家をどう使うか考えるのが私の楽しみだ。だから、普通の家ではつまらない。元そば屋の店舗併用住宅だったら、1階をそのままLDKにして、業務用の巨大冷蔵庫を捨てて、風呂場にするかなどと考えるのである。だからと言って、テレビ番組「ビフォー・アフター」は、最初の何回かは見ていたが、どうもわざとらしくて、ついにまったく見なくなった。建築家の小細工と「まあ、なんということでしょう」という大げさなナレーションが気に入らない。もうひとつ言えば、土台まで腐っている家を、建て替えではなく改築する意味を説明しないこともあって、すっかり見なくなった。
 不動産広告を見て遊ぶのは、ささやかな楽しみではあるが、本当に見たいのは外国の住宅の間取り図だ。この場合は、日本と事情が違い、ごく普通の当り前の住宅の間取り図を読みたいの。
旅する建築家は多いが、たいていは世界遺産に選ばれているような建築物鑑賞か、高名な建築家の手による作品の鑑賞ということが多く、なんということもない一般住宅の間取り図を作ろうという人は少ない。私にとっては、伯爵邸や建築家自邸など、どうでもいいのだ。ライトやル・コルビュジエの作品なんかに、まったく興味はない。いま、実際に生活している人がいる、その土地ではあたり前の住宅を知りたいのだ。住宅の外見写真集というのはあるが、間取り図までつけた本は、あまりない。
 例えば、韓国の住宅の間取り図を見れば、古い住宅には玄関はないが、いまのアパートにはほぼ日本と同じような玄関があることがわかる。安いアパートだと、アメリカの安アパートと同じように、玄関ドアを開けると、リビングルームというのは台湾や他の国でも同じ。韓国の安いアパートだと浴槽はなく、シャワーだけということもある。高級マンションには浴槽はあるが、間取り図の説明を読むと、風呂として使うことは少なく、シャワーだけで済ますことが多いという話が出てくる。そういう、生活のこまごましたことを知りたいのである。
 バンコクの日本人駐在員が生活しているアパート(日本風に言えばマンション)には、台所脇に窓もない小部屋つきの物件もある。女中部屋だ。一戸建ての大きな家だと、やはり家に女中部屋はあるが、住宅部分とは遮断されていて、女中部屋からいったん庭に出て、勝手口から雇い主の住居部分に入るシステムになっている間取り図を見たことがある。玄関と勝手口を戸締りすれば、使用人さえも完全に締め出せるようにするためだ。こういうシステムは、家の外観だけ見ていたのではわからない。
やはりバンコクで、アメリカ人駐在員の家庭に行ったことがあるのだが、そのマンションには日本と同じようにちゃんと玄関がついていて、不思議な景色だった。日本人専用に建てたマンションだったのだろうか。
 そういえば、今思い出した話なので忘れないように書いておくが、ロンドンで過ごしたセミデタッチドハウス(一軒家を2軒に分割した家。イギリスに多い)には、庭から入れるトイレがあった。広大な庭ではなく、サラリーマンレベルが住む、普通の家の小さな裏庭なのだが、裏口の脇の、物置きかと思うような小屋がトイレだった。屋内にももちろんトイレはあるので、このトイレの意味を不思議に思った。こういうのも、住んでみるか、間取り図を見ないとわからない。
 建築物を、生活とは関係の無い「美術作品」として鑑賞する人が多いので、建築の本も、ほとんどは私の趣味に合わず、最近はほとんど買わなくなった。