340話 『拙者は食えん!』から、 ひとつ目の話

 幕末に西洋に渡った使節団などの食文化ショックを日記から探った『拙者は食えん! サムライ洋食事始』(熊田忠雄、新潮社)を書店で見かけ、「さて、買おうか」と考えたものの、「きょうもいっぱい買ったから、また今度ね」と棚に戻した。その数日後、新聞でその本の広告を見ているうちに読みたくなり、あの書店には申し訳ないと思いつつ、ネット書店にすぐさま注文した。
 届いた本を見て、いやな予感がした。巻末の広告を見たら、『すごいぞ日本人!―続・海を渡ったご先祖たち―』と同じ著者だとわかり、だから当然、その正編である『そこに日本人がいた! ―海を渡ったご先祖たち』の著者でもあるとわかり、期待が裏切られた過去を思い出した。期待が大きいと、内容の薄さにがっかりする。初めから読み飛ばす気の人には、「お手軽新書」的な記述は悪くないのかもしれないが、私は読みごたえのある本が好きだ。
 さて、今回の『拙者は食えん!』もやはり、「もっと詳しく書いてくれよ」と欲求不満になるものの、それほど悪くない。「日本人の異文化体験・食文化編」というのは私も非常に興味があるテーマなのだが、幕末からの旅日記をていねいに読んで、食べ物に関する記述の部分を抜き出すという作業は、手間がかかることはわかっているから、「私の代わりにやっていただいてありがたい」という気持だから、感謝している。
幕末の武士たちが欧米に渡って、さて、西洋料理にどう反応したか。武士たちが西洋料理を嫌った理由を、著者は次に3点にまとめている。
1、食材も料理も、すべて見慣れないものだという不安
2、肉や油脂、とくにバターの臭気
3、塩味が少ない
 3の「塩味が少ない」について、著者は「醤油に慣れ親しんだ日本人の舌には物足りなかったとみえる」と解説している。つまり、醤油を使っていない料理は「味気ない」と感じたのだろう。また、当時の武士は、白米の飯に塩分の濃い味噌汁と漬物という食事に慣れているから、旅行中の食事の塩分が物足りなかったとも言えるだろう。
 著者は、「幕末期の日本人はこのように西洋料理になじめなかった」と、西洋料理を拒否するようすを抜き書きしているが、それはなにも幕末に限った話ではないだろう。日本人の海外旅行史を調べている私には、幕末まで時代をさかのぼらなくても、同じような本は書けるはずだと思う。例えば、1950年代や60年代、あるいは70年代に入ってからでも、日本人の多くは西洋料理にはまだ慣れていないはずだ。いわゆる「農協ツアー」と呼ばれたツアーの参加者は、おそらくは日本で本格的な西洋料理を食べたことはなかっただろう。ナイフとフォークで食事をしたこともなかっただろう。都市部に住んでいる人でも、取引先のフランス人と帝国ホテルでしばしば会食をするとか、在日フランス大使館のパーティによく行くという日本人は例外中の例外だ。コロッケやエビフライやハンバーグなど洋食は食べたことがあっても、それはバターや生クリームを多く使う昔のフランス料理とはまったく違う。
 残念ながら、1960年代の海外ツアー参加者の「カルチャーショック食事編」という資料がないだけで、もし聞き書きをすれば、幕末の日本人同様に、肉やバターに拒否反応を示し、醤油への憧れを口にしただろう。
 数年前、高校時代の友人たちが大挙してフランスとスペインを旅行した。その体験談を聞いてみると、パリ到着後1週間もせずに、ほぼ全員が「もう、フランス料理は勘弁してくれ」という状態になったそうで、「旅先でうまかったものは?」と聞いたら、「パリのラーメンと、日本から持っていった煎餅」という答えを聞いて、びっくりしたことがある。彼らは農村に住み和食生活だけをしている人たちではない。都会生活をしている現代人なのである。
 だから、『拙者は食えん!』は読み物としておもしろいが、「幕末の日本人は、このように西洋料理が食べられなかったのだ」という資料に使うには問題があるように思う。現代だって、それほど変わらないのだから。