357話 校正・校閲、あるいは編集者の仕事  4

 ある日、ロンリープラネットのホームページに何かおもしろそうな新刊がないか探っていたら、絶好の本が見つかった。”Once While Travelling : The Lonely Planet Story” By Tony & Maureen Wheeler というのは、解説によれば、世界最大の旅行ガイドブックを発行しているロンリープラネットの創業者夫妻の、最初の大旅行と、ガイドブック制作の裏話が満載だという。旅行史に興味がある私としては、ぜひとも読みたいのだが、なんとこのHPでもアマゾンでも品切れだ。
 数ヵ月後に再びアマゾンで検索した。その本は品切れのままだったが、同じ著者によるこんな本なら、すぐ買えることがわかった。”Unlikely Destinations : The Lonely Planet Story” という本だ。さっそく注文した。本が届いてからわかったのだが、この本は、先に紹介した”Once・・・”とまったく同じ本だが、出版国が違う。理由は不明だが、別の国でも出版することになり、なぜかタイトルも変えたらしい。ちなみに、”Once・・・“の方は、のちに出版社が変わって、”The Lonely Planet Story : Once While Travelling”と、サブタイトルと主タイトルを入れ替えている。もちろん、いずれのタイトルでもネット検索できる。
 この本の前半は、1972年のイギリスからオーストラリアまでの夫婦の旅行記。後半は、ほとんど無一文でたどり着いたオーストラリアで、ひょんなことから旅行ガイドブックを書くことになったきっかけから、ガイドブックの取材や編集の問題点などを詳しく書いている。だから、前半は、おもしろい旅行記としても読めるし、同時にその時代の旅行事情を知る貴重な資料にもなっている。後半は、トラベル・ジャーナリズムの資料としても、実におもしろい。
 この本のおもしろさをもっとも楽しめる日本人は、旅行人の創刊者である、かの蔵前仁一氏をおいて、ほかにない。だから、読み始めてすぐに、蔵前さんに「おもしろいぞ!」とメールを送り、半ばを過ぎてからも、読み終えてからも推薦のメールを送った。感想を聞きたかったからなのだが、「読んだ」という反応はまったくなかった。のちに旅行人編集部に行ったとき、「読んだ?」と聞いたら、なぜか「そんな本、読みたくないよ」という。残念だ。旅行ガイドを作っている者なら、国は違っても、「苦労して作った地図が、他社のガイドに盗まれた」といった話には共感できるはずなのに。
 さて、この本に誤字の話が出てくる。1999年発売の『西ヨーロッパ』(第4版)の印刷があがり、倉庫に運び込まれたところから話が始まる。
 倉庫係Aが出来上がった本を眺めながら。「なあ、『西』って、どう綴るんだっけ?」
 倉庫係B「W-E-S-T-E-R-N」
 倉庫係A「Rがあるんだ」
 倉庫係B「もちろん」
 いま運び込まれた新刊の表紙には、”Westen Europe”と印刷されていた。4万部の新刊の表紙に印刷されている書名が、誤字だったのだ。デザイナーが文字をいじっているうちに、つい“R”を落としてしまい、それを編集や営業の誰もが気がつかずに、印刷所に送ってしまったのだった。すぐさま会議が行われた。
「断裁して、刷り直すしかないか」
「もったいないよ。森林資源の無駄使いだ」
「じゃあ、”Western Europe”と正しく印刷したシールを貼るか」
「4万部にシールを貼るのは大変だよ。それに、シールなんか貼ったら、『いったい何を隠したんだろう』と、シールをはがずヤツがいるぞ。それで恥ずかしい事実が見つかってしまう」
「うーん、さてどうする?」
 会議の結果、結論が出た。「誤字のまま、売ってしまおう。『表紙のタイトルは誤字です』と印刷したしおりを入れておけば、それでいいよ」
 いいなあ、こういう会社。数年後には改版するガイドブックだからできることだけどね。
 その現物を見てみたいと思いネットで調べてみた。アマゾンなど古書サイトでは、1999年の第4版は見つかったが、表紙に異常はない。別の刷りだったのだろう。以前探した時は、個人のサイトで誤字の表紙を見たことがあるが、あのときどうやって探したのか、もう覚えていない。
 旅行書出版のおもしろい話が次々とでてくる本なのですよ、蔵前さん。まだ読みたくない?