400話 唇寒し

 2月初め頃からずっと、体調がどうもおかしい。現在までさまざまな検査を受けているのだが、いずれの検査でも「異常なし」という結果で、それはそれで喜ばしいのだが、だからといって体調が元通りになるわけでもないので、困ったものだ。
 40歳を過ぎたころにも体調をおかしくしたことがあって、大きな病院に行ったことがある。ちょっと診断しただけでは異常は見つからない。
「定期健診は、やっていますか?」
「いえ、一度も」
「もう、40を過ぎたので、年に1回くらいは検査をしたほうがいいと思いますよ。来週にでも、やりますか。この際、徹底的に検査してみましょう」
 医者の勧めで、翌週に検査することになった。レントゲン検査や検便などは小学生時代からやったことはあるが、血液検査やバリウムを飲む胃の検査などは、この時が初めてだった。
 検査を終えた翌週に、医者からの検査結果の報告があった。医者は、「とりたてて、悪いところはないようで・・・・」と言いながら、紙袋から取り出した胃の写真を眺めて、「ん? う〜ん」とうなった。医者の「?」マークは怖い。重大な異変に気がついたのか。医者は、赤いペンを手にして、胃のある部分に丸印をつけた。「何か、ちょっと変なものが写っているんですよ。ひょっとすると、泡かもしれませんが、気になります。きちんと調べた方がいいと思うので、来週、胃カメラで調べましょう」
 胃カメラ検診は翌週、その結果の報告を受けるのがそのまた翌週ということで、恐怖の2週間になった。悪い病気かもしれない。胃ガンか? 結果がわかるまで、毎日不安なままで過ごしていたときに、ちょっと用があって知人に会った。ペラペラしゃべるその男は、私に会うなり、「あれ、前川さん、顔色悪いねえ。もしかして、ガンだったりして、ハハハッ」と、笑いながら言った。1発、殴りたくなった。この人は、誰かと会うと、「やせた」とか「太った」とか「顔色が・・」といった印象を口にせずにはいられない性癖なのだ。
 不安と恐怖の2週間が過ぎ、胃カメラ検査の結果、変な映像は泡だと判明し、胃に異常はないとはっきりした。
 あれから20年近くたっても、「検診」と聞くと、あの男のヘラヘラした笑い顔を思い出すのだが、考えてみれば、私は言葉の被害者であるよりも、言葉の加害者である方が多かったにちがいない。幼児期にしゃべれるようになってから今日まで、私の言葉で傷ついた人は多いだろう。映画や本などで、批判する目的で批判した確信犯的行為ではなく、傷つける気などまったくないのに、私のひと言が相手の心を切り刻んだことも、きっとあっただろう。確実に、かなり、やっているはずだ。
 「世の中、なるべく波風立てずに」とか、「皆さんで、仲良く」とか「和を重視して」などという生き方をしてこなかったし、思いついたことがすぐ口から出てしまうタチなので、深夜に落ち込んで、「申し訳ない」と謝罪したくなることがある。私に、あのヘラヘラ男を非難する資格はない。