409話 県境を越えるバス旅行 後編

 テレビ番組で、「バブル時代を検証する」というようなものがあり、不動産屋が東京の路上に立って、バブル時代の思い出を語っていた。
「この路地1本で、運命が変わったんです。ここから右が豊島区、左が板橋区。この路地の左右で、土地の値上がり方がまったく違ったんです。豊島区は高かったですよ」
埼玉県新座市と東京都練馬区の境をバスで通るときに、あのテレビ番組の不動産屋の顔が浮かんだ。練馬とは言え、東京23区内だ。土地はさぞかし高いことだろう(東京とはいえ、練馬だから・・という修辞法も成立するが)。
 大泉学園駅に着く前、練馬区に入ったばかりのバス停に、「吉祥寺駅」という表示が見えた。駅まで行かずに乗り換える方法もありそうだが、このまま駅まで行くことにした。私は機械が嫌いだが、iPadで詳細な地図を見ながらのバスの旅は楽しいだろうなあと思った。「この森は、なんだ。あっ、そうか。寺か・・・。これ、個人住宅かなあ。でかいなあ・・」などと地図を見ながら旅するのである。印刷した地図でこういう遊びをやろうとしたら、縮尺が数千分の一程度の地図が欲しいから、揃えるのが大変だ。
 大泉学園駅の北口から南口にまわり、バス乗り場はすぐに見つかった。まだ尿意を感じてはいないから、あと2時間やそこいらなら充分我慢できるのだが、予想外の渋滞などがあると困る。そこで、駅前のショッピングセンターに寄って行くことにした。気ままな散歩に必要な最低限の注意事項は、「トイレには、行けるときに、行っておくこと」だ。
 駅前には「ゆめりあフェンテ」という名がついている商業施設がある。さすが東京都内だ、田舎者には意味がまったくわからない名称だ。ここが、おしゃれな大泉学園住民が集まるところなのだろうか。
 吉祥寺行きのバスは混んでいたが、隣りに停まっている西荻窪行きのバスに客はほとんどいなかったので、目的地を西荻窪に変更した。目的地までの所要時間がわからないから、のんびりと座ってきたい。
 大泉学園駅を出てすぐ見えてきた大泉自動車教習所は、旅行人の蔵前ファウンダーが通った教習所かなあなどと思いつつバスの旅。ここは阿蘇でも奥入瀬でもないのだから、車窓から雄大な景色が見えるわけではないとわかっている。ならば、興味深い光景が見えてくるかと言えば、それも期待できないだろうと予想しつつ、現実もその通り、かわり映えのしない地域なのだが、夕方のバスに揺られているのは、なかなかに気持ちがいいものだ。だからと言って、このコースの旅をまたやる気はまったくないが、1度ならどんなコースだって旅してみたい。バスの旅は、夕方がいい。住宅地に、建築家が設計したらしい家がちらほら見える。
 西荻窪で、旅行書専門店「のまど」に寄った。吉祥寺から西荻窪に移転してからは初めてだ。昔からその存在は知っていたが買わないでいた古い本を、この書店の棚で何冊か見つけた。たとえば、福田蘭童(石橋エータローの父)の世界旅行記が棚にあったが、内容をチェックすると想像していた通り買わなくていい本だった。欲しい本はほとんどなかったが、御祝儀代わりに1冊買うことにした。いい本屋に出会うと、欲しい本がなくても、ごあいさつ代わりに買っておこうという気になるものだ。
 通りにタイ料理店の看板が見えたので、そこで夕食にしようかと思ったが、店頭の写真メニューは、私にも作れそうな料理ばかりで、しかもけっこう高いので、やめた。自分で作ればいいのだ。日本のタイ料理店は高すぎる。新大久保の韓国料理とタイ料理を比べると、質と値段で、まったく勝負にならないことがよくわかる。炒め物を飯に乗せただけの料理や、パッタイ(焼きそば風の麺料理)が1200円といった値段をつけているうちに、客は韓国料理店に移ってしまった。韓国料理店でそれだけのカネを出せば、立派な定食が食える。
 西荻窪から吉祥寺まで歩いた。線路と平行して伸びる道路がないから、歩きにくい。注意していないと、知らないうちに線路からどんどん離れて、住宅の海にのまれてしまう。有名作家だの、有名芸能人でも住んでいそうな家が目につく。150坪の土地に、3階建てコンクリート住宅。さまざまな地域でままあることだが、気になる家の正面に看板があって、「○○建築設計事務所」とある。それがどうにもセンスがない家だと、逆効果だよなあなどと思いながら、散歩。もう夜だから、家がよく見えない。表札も読めないが、確かめる気はない。建築探検をやるには、時間的にちょっと遅すぎる。
 いつものように吉祥寺古本屋散歩。最近はあまり来ないが、昔は吉祥寺から新宿方面に各駅で下車して古本屋巡りをしていたものだ。閉店した古本屋があるのではないかと心配だったが、どの店を健在で、うれしいことに、1軒増えていた。ブックオフは1軒閉店して1軒できたから、差し引きゼロだ。まだ読んでない本が自宅に積んである状態なので、本を買うという行為に消極的になってしまう。「ちょっと、いい」という程度の本だと、格安の値段がついていても、買わない。読まないとわかっているからだ。古本屋の本よりも、内容のよくわからないネット古書店の本をよく注文してしまうのは、なぜだろう。
 こうして、埼玉県新座市から東京都武蔵野市吉祥寺までの5時間の散歩を終えた。