408話 県境越えるバス旅行 前編

 埼玉県新座市から東京都武蔵野市吉祥寺に行こうと思った。なぜかという理由を説明するとややこしいし、説明してもおもしろくもないので、「とにかく、行く!と決めた」ということにしておく。
 もっとも単純で、だから所要時間も短く、費用も少ないのは、武蔵野線新座駅から西国分寺駅に行き、中央線に乗り換えるというルートだ。もっと時間がかかるが、東武東上線志木駅から池袋駅に出て、新宿乗り換えで中央線というルートもある。地下鉄を使う方法もあるが、あまりおおしろくない。
 バスを使って、埼玉県から県境を越えて東京に入れないだろうかとふと思った。東京周辺の鉄道は、千葉県側にしても埼玉や神奈川側にしても、東北本線などいくつかの路線を除けば、路線は東西に伸びていることが多く、南北方向の移動が難しい。東武東上線西武池袋線西武新宿線、JR中央線、京王線小田急線など、東西に伸びる路線だ。南北に伸びる鉄道がないのだが、バスならうまく移動できるのではないかという発想だ。
 新座駅発のバスで、東京にまで足を伸ばしている路線はあるだろうかと調べてみると、あった。大泉学園行きのバスが出ているのだ。大泉学園といえば、旅行人の企業城下町としてバックパッカーたちには有名な街で、東京都練馬区に属する。大泉学園駅発のバスルートを調べてみたら、中央線の駅方向に何本もバスがある。乗り継げば、吉祥寺に行ける。よし、決定だ。
 インターネットの画面で、新座駅大泉学園駅行きのバス、<泉―30>というルートの時刻表を出してみた。1時間に2本というような田舎バスだと困るので、決行前日に資料を集めているのだ。時刻表を見ると、あれ? 始発が7時18分で、なんと、これが最終でもある。つまり、1日1本キリなのだ。おいおい、北海道や鹿児島のバスだって、1日1本ということはないぜ。サイタマとネリマを結ぶ田舎路線だとしても、これはひどいだろう。新座から東京に伸びる路線がないというなら、わかる。しかし、1日1本の路線バスを温存させているという理由がかわらない。考えてもヒントが出てこないから、西武バス新座営業所に電話をしてみた。
「なぜ、1日1本なんですか?」
「昔はもっとあったんですが、利用者が少なくて、だんだん減りました。でも、まだ利用する方がいらっしゃるので、廃止にはしていません」
「でも、なぜ、1本だけ残しているのか、わからないのです」
「もっと増やしてほしいというご要望でしたら、そういうこととして承っておきます」
「いや、そういう話じゃなくて・・・」
 明快な解答が出てきそうもないので、西武バス本社に電話をした。そこでなにか進展があったかというと、まったくない。
「なぜ、1日1本かということなんですが・・・」
「通勤などで、まだ利用なさっている方がいらっしゃるので、路線を残しているのです」
「でも、朝に新座駅を出て、昼に大泉学園を出るバス1往復では、通勤には使えませんよね。大泉学園を昼に出るバスに乗ると、その日は新座泊になりますね」
「でも、まあ、皆様、全ルートをご利用なさるわけではなく、部分的な利用なので、始発から終点まで利用なさる方は少ないんです。途中で乗り換えますから」
「それじゃ、この<泉―30>を残す必要はないですよねえ」
「はあ、まあ・・・・」
 こういう1日1本の路線は、バスマニアには基礎トリビアなのかもしれないが、バスのことなど何ひとつ知らない私には、正解はわからない。そこで、空想だ。バス路線を廃止すると、また復活させようとした場合、えらく手間がかかる。他社に権利を奪われるのもしゃくだ。だから、営業権利保持の意味で、1日1本だけ運行しているのではないか。素人はこう推測するのだが、バスに詳しい方からの、正解を待っています。
 さて、決行日。バス旅行の出発地は東上線朝霞駅だ。そこからなら、大泉学園駅行きのバスはいくらでも出ている。志木駅から朝霞駅まではバスもあるが、時間に余裕がないので、東上線を利用して志木駅から朝霞駅に行った。朝霞駅から、大泉学園行きのバスに乗ったのだが、すぐに渋滞。狭い商店街のなかを走る。自然渋滞なのだろうが、両側が朝霞駐屯地という道路をのろのろと進む。朝霞駐屯地といえば、私の世代では『マイ・バック・ページ』という連想しかないが、ここが元はゴルフ場だと知って驚いた。ゴルフ場は1941年に陸軍予科士官学校になり、戦後に自衛隊駐屯地になった。
 どうやら、ここは渋滞の名所らしい。道路が狭い。両側は広大な駐屯地なのだから、ほんのちょっと土地を削れば、広い道路ができるのに。歩いた方が早い進み方だ。やっと駐屯地を抜けると、埼玉県を離れて、東京都練馬区だ。このあたりは、埼玉県の新座市朝霞市和光市の市境と県境が入り乱れている。畑が見え隠れする地域を走るのだと予測していたが、バスから畑は見えない。帰宅してから航空写真で確認したが、このバスルート沿いに広い畑は見えない。
 和光といえば、ながらく、和光大学和光市にあるものだと思い込んでいた。和光大学に行ったときに、そこの住所が和光市ではないのに初めて気がつき、大学がある東京都町田市の隣りにでも和光市があるのだろうと思っていた。実際に、和光大学の教授に「ここは和光市じゃないんですねえ」と言ったのだが、それがとんでもない発言だとは、その時はまだ気がついていなかった。その日帰宅して、和光大学の所在地と和光市をそれぞれ地図で確認して、なんともトンチンカンな発言をしたものだと冷や汗をかいたことがあった。というわけで、和光市が埼玉県にあると知ったのは、それほど昔のことではない。ちなみに、和光大学は1966年の創立。埼玉県和光市は、1970年に誕生している。両者には、関係はないらしい。
 バスが埼玉県から東京都に入ったからといって、風景が劇的に変わるわけではないが、体面上は大きな変化だ。「お住まいは、どちらで?」と聞かれて、「はい、東京です!」と答えるのと、「ええ、埼玉です・・・」と答えるのでは、ミエの世界ではだいぶ違う。「ええ」がつくかつかないかという差が、この県境で、練馬では東京ブランド代金が加算されて、地価が大きく変わるのだろう。