458話 タイも、ノスタルジーの時代

 
 YouTubeでタイ歌謡の動画を見ていたら、チンタラー・プンラープがポンラーン・サーオンと出ていた。どういうことかわかる日本人は10人くらいしかいないだろうが、長くなるので説明はしない。共演が興味深いわけではなく、ロケ地に見覚えがあったから、「おおっ」と画面を見つめた。ロケ地が「新村市場」(タラート・バーン・マイ)だった。あそこが映画のロケになっている。古い市場がブームなんだとよくわかった。
 タイ人の懐古趣味に初めて気がついたのはもう20年以上前のことで、1960年代あたりにヒットした歌謡曲の復刻盤が売り出されて好評だったり、かつての有名歌手がコンサートを開く「ナツメロ」ブームがあったりした。90年代の人々が60年代を懐かしく思うという現象だった。
 タイ人が過去のタイを懐かしく思うというのはよくわかるのだが、日本の懐古趣味をも共有したことに驚いたのは、2005年だったか、2006年だったか。あの「ALWAYS三丁目の夕日」(2005)の映画がタイでもヒットし、タイ語版のDVDも売っていたからだ。日本人が感じる「懐かしさ」を、タイ人もよくわかったということか。
 タイが、とくにバンコクが、急速に近代化が進むなかで、作用・反作用の法則のように、懐古趣味もまたより強くなったように思う。日本で言えば「アンノン族の旅行、ディスカバー・ジャパン」時代の1970年代のような風が吹いている。どういうことかというと、あの時代の日本人が「萩、津和野、角館」など小京都を巡ったり、ながらく忘れられていた山のなかの宿場町を訪れたように、バンコクとその周辺に住む人々が古い市場にやって来ているのだ。
 市場といっても、肉や魚や野菜など生鮮品を売る市場ではなく、関西の「いちば」に近い。屋内商店街とでも言えばわかりやすいか。食料品だけでなく、衣類や雑誌やおもちゃなど、なんでも売っている。古びたたずまいの市場を、総称として「百年市場」(タラート・ロイピー)と呼んでいる。
 その種の市場に初めて行ったのは5年くらい前になるだろうか、チャチューンサオ県のバンパコーン川沿いにある「新村市場」(タラート・バーン・マイ)だ。タイ人に連れて行ってもらったので、何の予備知識もなしに行き、おもしろさに感動した。こういう場所だ。
http://4travel.jp/traveler/muffin/album/10483820/
 今回行ったのは、バンコクからだと「新村市場」のもっと手前になる「スアン運河100年市場」だ。http://www.bangkoknavi.com/shop/176/
両方の画像を見てわかるように、保存しようと努力して保存しているのではなく、なんとなく残っていたというだけのことだ。地価が安いから、開発の波が及ばなかった市場に、急に観光客が来るようになって、「古さは、カネになる」と気がついたというわけだ。日本人もよくわかるのだが、「新しいことは、すばらしい」という社会風潮のなかで、しだいに芽生えてきた懐古趣味が、「観光地に生まれ変わる」という時代なのだ。
 初めてタイに行ってから、そろそろ40年たつ私にとっても、じつは古いタイを懐かしく思う感覚は確実にある。何十年か前の王族の写真を見ても、「みんな若いなあ」という感覚が実体験でわかる。私が初めてタイに行った頃、シリントーン王女はまだ10代だった。私と同世代のタイ人なら、古いラジオやテレビを見ても、「ああ、あのころは・・・」と思い出すことも多いはずだ。考えてみれば、バンコクにも歴史をテーマにした博物館がいくつかできている。
 そういう話を、タイの日本語雑誌「ダコ」の編集部でしていたら、「こういう本が出ていますよ」と言って編集者が見せてくれたのが、タイ語の旅行ガイドブックで、1冊まるごと100年市場ガイドだ。懐古趣味のなかで再発見された古い市場を「100年市場」と呼び、そういう市場がバンコク周辺だけでも数多くある。急激な西洋化と歩調を合わせて、「過去という時間」をいとしく思う感覚も同時に大きくなっている。
 すでに、この雑語林455話「タイの旅の本と、東京の本」で書いたように、タイ人が、ガイドブックを持って車で出かける時代になったということだ。私のように公共交通機関しか使えない貧乏人は、目的地にはなんとかたどり着いても、帰りの交通手段がちょっと面倒なことになる不便な場所に、タイ人がおしかけている。