459話 Exotica


 ジャズのCDカタログを見ていると、私はジャズマニアではないから、当然知らないミュージシャンがいくらでもいる。それは当たり前なのだが、CDショップの棚やネットの中古CDリストでも同じ名前を何度も見ると、どういう音を出す人なのか気になってくる。そういう人のひとりが、Les Baxterだ。さっそくYouTubeで、彼の音を聞いてみた。
 ああ、これか。わかった。1950年代のアメリカの映画の「外国」。日本が舞台だと、チャンチャカチャンチャン・チャンチャンチャンというメロディーの後、ドラが「ジャーン」と鳴って、中国だか日本だかわけのわからない東洋を描いているシーンを思い出した。レス・バクスター(1922〜1996)はアメリカの作曲家・編曲家・指揮者だ。ウィキペディアを読み進むと、Martin Denny(1911〜2005)と共に、アメリカのエキゾチック・サウンドを作った人だという。マーティン・デニーが1957年と58年に発表した”Exotica”というレコードにちなんで、この手の音楽をエキゾチカと呼ぶらしい。「この手」とは、アメリカ人が想像する架空の異国情緒音楽ということだ。
 マーティン・デニーという名には覚えがあったが、詳しいことは知らなかった。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)に強い影響を与えたというようなネットの解説を読みながら、YouTubeで彼の音楽を聞いてみた。YMOに影響を与えただけあって、じつにつまらん。レス・バクスターの方がずっとおもしろい。おもしろいとは思うが、好きにはなれない。研究対象としては、非常に興味深い。というわけで、試しにレス・バクスターのレコード8枚をCD化したボックスセットを買ったのだが、期待したおもしろさはなかった。
 私はながらく「異国情緒」や「異国憧憬」といったことに興味があって、牛歩ではなく亀歩程度の速度で調べている。エキゾチカに関しては、おそらく音楽雑誌などに記事は出ているだろうが、単行本では探せなかった。英語では何冊も文献があることはわかった。いずれ買うことになるでしょう。
 1950年代のアメリカで、「アジア」や「アフリカ」や「ジャングル」や「熱帯」や「南国」などがなぜ流行したのだろうか。「アジア」のように「 」で括っているのは、現実のアジアではなくて、アメリカ人が想像する空想の「アジア」だからだ。太平洋戦争や朝鮮戦争が影響しているのだろうか。アメリカでは日本よりもひと足早く、すでにテレビや海外旅行の時代を迎えているから、その影響か。しかし、「ターザン」は古いぞ。エドガー・ライス・バローズの小説”Tarzan of the Apes”が発表されたのは1912年で、初映画化は1918年だ。「キングコング」の映画第1作は、1933年だ。といったことを考えると、1950年代のアメリカで、突然、急に、エキゾチシズムの強風が吹いたというわけではないらしい。
 私の乏しい知識で、引き続き「異国情緒の世界史」を思い浮かべると、マタハリという名が頭の隅から出てきた。マレー系オランダ人のダンサーにしてスパイ。グレタ・ガルボの映画「マタハリ」と、マレーネ・デイートリッヒの映画「間諜X27」の公開はどちらも1931年。
小説や映画の世界で、昔から「異国情緒」というジャンルがあったのだろうか。明確なジャンルとして存在していたかどうかはわからないが、「異国情緒」を求める感情は西洋人には明らかにあった。小説や映画だけではない。絵画もそうだ。博物学もそうだろう。「植民地の夢」だって、あっただろう。シャングリラも、一種の異国趣味だ。
 そんなことを考えていたら、「西洋史におけるエキゾチシズムの変遷」といったことを知りたくなった。腰を据えて、慣れぬ西洋史の本と格闘してみようかと、アマゾンで資料を調べてみたものの、その手の本は見つからない。旧知の西洋史の学者に相談をもちかけたら、「あまりに漠然としたテーマだから、『エキゾチシズムで1冊の本』を探すのは無理だと思いますよ。ヘロドトスだって、エキゾチシズムに絡めて語ることができるわけで、その時代から現代までを1冊でというのは、無理ですよ」。
 というわけで、1冊の本で満足な情報を得ようという方針を放棄し、とりあえず美術史から手をつけることにした。アンリ・ルソーゴーギャンあたりから、トボトボと歩いていくことにしようか。