460話 西洋絵画と異国憧憬

 
 エキゾチシズムの資料を探していたら、『絵画のなかの熱帯 〜ドラクロワからゴーギャンへ』(岡谷公二平凡社、2005)がおもしろそうなので、すぐさま注文した。
 安くはない本だから、内容を確認せずに買うのは不安だったが、読んでみれば、「かなりおもしろそうだ」という私の予感は大当たりだった。「なるほど、そうか」と思わせる記述が多く、本はたちまち付箋だらけになった。付箋をはり、書き込みをしながら読み進みたいので、図書館で本を借りるのにちゅうちょするのだ。
 この本は、「そもそも」と、エキゾチズムの歴史をおおもとから書くような暴挙はせず、ドラクロワからゴーギャンにいたる19世紀のフランス絵画を柱にしている。絵画以外では、ピエル・ロティ(ロチという表記もあり)の『ロティの結婚』(1880)の爆発的な売れ行きが、エキゾチシズムに与えた影響が大きいという話題が出てきて、目が洗われた。読もうかと思っていた本だが、やはり読んだ方がよさそうだ。『ロティの結婚』は、西洋人の男とアジア人の女の恋というラブストーリーで、こういう骨子は1904年初演の「蝶々夫人」(プッチーニ)になり、数多くのハリウッド映画やミュージカルの基本パターンになっている。映画「慕情」は、音楽からして「蝶々夫人」であり、ミュージカル「ミス・サイゴン」もこの系列の物語で、キャサリン・ヘップバーンの映画「旅情」(1955)の場合は、珍しく男女が逆転している・・・などという話を始めればいくらでも話題は広がっていく。この本を読んでいると、記憶と思考力をいくらでも広げてくれるのだが、ここでは話を広げない。絵画に限定して話を進める。
 画家たちは、なぜ異国に興味を持ったのか。それは「光」なのだと著者は書く。ヨーロッパにはない強烈な光が欲しくなったのだ。モロッコに来たドラクロワは、その地の輝く色彩に圧倒されて、ノートにメモする。「黄色く乾いた砂糖黍と周囲の緑のコントラスト。砂の黄、山の青さ、もっと近くの山々は緑褐色で、低い木立ちの黒ずんだ斑点」、「得も言われない色調の対岸のスペインの山々、濃い青緑色の線のような海」・・・・。
旅をすると、母国と比較したくなる。モロッコを旅したドラクロワは、こう書いた。
「人間は、石や漆喰の家に閉じこめられるようにはできていない。人間には、野原や砂漠ののびやかで澄んだ大気が必要だ。閉じ込められると、人間は変質し、かさかさになる。私たちは馬の足の下からその香りが立ちのぼってくる花や草でいっぱいのこうした広い野原のさなかにいると、別の存在、本当の人間になったように感じる」
 ドラクロワの影響を受けたルノワールは、アルジェリアを旅して、頭に水差しの壺をのせたアラブの女たちの歩き方は、旧約聖書の世界のようだと感じた。強烈で鮮やかな光を求めて、亜熱帯や熱帯に出かけた画家たちは、充分に光を浴びると、その地が楽園のように思えてきてどんどん理想化が進み、「それに比べて母国の西洋ときたら・・・」と批判的に見るようになる。そこで、「この地に住む人々は、たしかに貧しいが、純粋な、汚れなき心を持っている。それに比べて、物質的に豊かな我々は・・・・」という、現在まで続く思考パターンが生まれるのである。
 この本の中から、さまざまなテーマに応じて内容を紹介していってもきりがないので、「まとめ」のような文章を引用しておく。かなり長くなるが、絵画に限定せずに、フランスの異国趣味について語った部分であり、基本情報も詰まっているので、引用することにした。なお、引用部分ではジャポニズムには触れていないが、この本の本筋ではないというだけで、著者が無視しているわけではない。*「エグゾティスム」はフランス語のカタカナ表記。
  エグゾティスムは、十九世紀後半から世紀末にかけて、西欧の社会に深く 浸透し、一つの風潮にまでなった。「ここよりも彼方へ」の思いにかられる ロマン派の人々が、まずそれに口火をつけた。「一八四〇年前後には、一世  代全体が夢を生きた」と『フランス文学の中のエグゾティスム』の著者は 言う。「エグゾティスム」という言葉自体、このころ生まれた。フランスの 辞書『ロベール辞典』は、その初出を一八四五年と明記する。「外来の、舶 来の」を意味するラテン語exoticusを語源とする、古くからあったexotique という形容詞が名詞化したのである。
  しかし、エグゾティスムはロマン派とともに消え去りはしなかった。一九 世紀後半に頂点に達する列強の植民地拡大、七月王政期から第二帝政期にか けて次々に創刊された絵入り新聞や雑誌――フランスについて言えば、『マ ガザン・ピトレスク』、『イリュストラシオン』、『モンド・イリュスト  レ』、『世界一周(トゥール・デュ・モンド)』、『旅行雑誌(ジュルナ  ル・ド・ヴォワイヤージュ)』など――による。これまで西欧の人々の視野 の外にあった国々や地域についての情報、そして万博が、人々の胸の中の夢 をさらに熱いものにした。
  エグゾテジスムは、時と所を問わない普遍的な感情であろうが、それが社 会を動かすまでの風潮になった例は、この時期の西欧以外には、あまり見当 たらない、それは、西欧中心思想の裏返しであり、この思想が他に類を見な  いほどに強固だったゆえに、そのゆらぎも激しかったということであろ  う。それは、西欧の人々が集団感染した、ある深刻な伝染病であった。(以上、引用終わり)
 1929年生まれの著者は気がつかなかっただろうが、20世紀後半、特に1960〜70年代にも,「エグゾティスムが社会を動かすまでの風潮になった」時代があった。対抗文化の時代だ。
 『ゲーテ「イタリア紀行」を旅する』(牧野宣彦集英社新書、2008)は、読んだ。ロマン派の研究は、ほんのちょっと手をつけただけだ。西洋に関する教養のない者は、簡単なことでも理解するのに苦労する。「エキゾチシズム」は、飽きずに、どこまでつきあえるテーマだろうか。ま、ぼちぼちと。