473話 狂犬とイギリス人  後編

 
 前回書いた、昨年バンコクで買った本というのは、これだ。
 ”Tales of Old Bangkok” (Chris Burslem , Earnshaw Books , 2012 , Hongkong)。
 外国人が書いた近現代のタイに関する記述を集めたスクラップブックのような本だ。外交官の文章や、サマーセット・モームの本からの引用もある。そのなかに、こういう文章があった。
“In Bangkok at twelve o’clock they foam at the mouth and run
But mad dogs and Englishmen go out in the midday sun・・・”
          Noel Coward , 1929
 ノエル・カワードの名には覚えがある。バンコクのオリエンタルホテルや、シンガポールラッフルズホテルなどの顧客として、サマーセット・モームらの名前とともにホテル紹介の記事には必ず登場しているからだ。作家ということはわかっていたが、どうやらそれだけではないらしい。
 ノエル・カワード(1899〜1973)はイギリスの俳優、作家、脚本家、演出家、作詞家、作曲家という偉人で、「サー」の称号がつく。ウィキペディアによれば、1931年にニューヨークで初演された“The Third Little Show”で、彼が作詞作曲した”Mad Dogs and Englishmen”を使ったそうだ。1932年のレビュー”Words and Music”でもこの歌を使い、レコードにもなり、大ヒット曲になった。アメリカで大成功した19551年の「ノエル・カワード・アット・ラスベガス」というショウは、ライブアルバムになり大ヒットした。そのアルバムにも、”Mad Dogs・・”が入っている。つまり、英米のショウビジネスに親しんでいる人なら、”Mad Dogs・・“といえば、すぐにノエル・カワードの歌が思いつくということだ。
 その歌にバンコクが登場していると初めて知り、さっそく全歌詞を調べることにした。検索すれば、じつに簡単にわかった。
 http://www.hello.dj/noel-coward/580807/mad-dogs-and-englishmen
 読んでみても、よくわからない。皆さまのお知恵を拝借したいと、日本語訳はないかと探したが、どこにもみつからない。日本語訳がない理由は、多分ふたつある。一つは、日本ではあまり有名ではないからだろう。もう一つの理由は、翻訳が難しいからだ。歌詞を読んでみれば気がつくのだが、この歌は「バカ犬とイギリス人は、暑い日向に出ていく」という今風にいえばコミックソングで、歌詞そのものに大した意味はない。詳しく正しく翻訳しようとするのは、たぶん徒労だ。歌詞の意味よりも、”rabit” , ”habit”や”swamps” , ”romps”のように、語呂合わせの方が重要なはずだからだ。
 そして、以前この欄で書いた「異国情緒」を演出している歌なのだが、西洋人たちにはあまりなじみのない地名や民族名でも、イギリス人にはなじみの植民地名がいくつも登場する。Japanese, Chinese, Hindus, Argentines, Philippines, Malay, Burmese, Rangoon, Bangkok, Hongkong, Bengal,そして、Mangrove swamps(マングローブ地帯)、glare(ギラギラする光)、ultry Violet ray(ultraviolet rayの誤記か? 紫外線)といった熱帯を感じさせるいくつかの語で、異国情緒を演出しているように思う。
 上の文章を書いてから10日たった。その間、何をしていたかというと、本の到着を待っていたのだ。ノエル・カワードの話を書いているうちに、彼のアジア旅行がどのようなものだったか知りたくなった。日本語の出版物ではその資料が見つからなかったので英語の本を探すと、自伝が安い値段で手に入ることがわかり、イギリスから取り寄せることにした。その本がさっき届いた。”Noel Coward Autobiography” (Mandarin , 1992)という本は、小さな活字で組んである500ページほどの弁当箱本で、これが送料込みで600円弱なのだから、本当に安い。
 ざっと拾い読みしてみると、アジアのことは1929年の旅行のことが数ページにわたって書いてあるだけだった。ハワイから、関東大震災(1923)のあとの東京、朝鮮半島から北上して香港に南下。今のベトナムからカンボジアシンガポールスリランカに行ったということはわかるが、それだけだ。
旅行記を書きたいとしばしば思う。しかし、それは『チベット自転車旅行』といったたぐいの本ではなく、リチャード・ハリバートンのように、水泳など不可能な川で泳いだり、古代遺跡の前で仁王立ちになっている写真を載せているようは本でもない」
などといろいろ考えて、結局、旅行記は書かなかったようだ。ライターが書いた伝記なら、カワードの世界旅行のことが詳しく書いてあるかもしれないが、「もういいか」という気分だ。
 ついでの話をふたつ。リチャード・ハリバートンアメリカの冒険家で、1928年にパナマ運河を泳いで通過した人物として有名。だから、「水泳など不可能な川」とは、スエズ運河を指しているのだろう。当時は、それで読者は理解できたはずだ。ハリバートンは、香港からジャンク船でアメリカまで航海しようと試みたが、海上で行方不明になった。1939年のことだ。私が読んだカワードの自伝は、1932〜36年の間に書き、1937年に初版が出ているから、1歳年下のハリバートンとは同時代の人間という意識があったのだろう。
 ついでの話のふたつ目は、シンガポールバンコクの高級ホテルを取り上げると、カワードと並んで必ず出てくるサマーセット・モームのことだ。モームインドシナ半島旅行記は、1930年の“The Gentleman in the parlour” がある。http://www.amazon.co.jp/The-Gentleman-Parlour-Vintage-Classics/dp/0099286777
 私はバンコクで買ったペンギンブックス版で読んだような気がするのだが、それからだいぶたって、いまはなき渋谷の古本屋で珍品を見つけた。『南への旅客』(サマセツト・モーム、鷲巣尚訳、大東出版社、1943)は、その旅行記の翻訳だった。1943年、昭和18年の出版ですよ。戦時中にモーム作品の翻訳が出ていたことに驚いた。この本は、戦後『旅の本 東洋旅行記』(荒地出版社、1956)として出版された。