489話 ふたりの訃報 アフリカ文学やインドネシア研究の話など

 
 ナイジェリア出身の作家チヌア・アチェベが3月22日に亡くなった。彼の作品については、このアジア雑語林の346話でちょっと書いている。彼の訃報を新聞で知って、この作家は日本でどの程度の扱いになるのか気になって、インターネットで調べてみたら、想像をはるかに超えて多くヒットした。情報の多くは訃報だが、「ほぼ無視か」と思っていたので、かなり意外だった。数多くの文学賞を受けているが、ノーベル文学賞受賞者ではないアフリカ出身の作家にしては、扱いは大きいという印象だ。
 新聞で訃報が伝えられたからといって、日本で有名な作家というわけではない。翻訳された作品はあるが、現在すぐに手に入るのは、河出書房新社の世界文学全集、第三期の『短編コレクション1』におさめられている『呪いの卵』が唯一らしい。池澤夏樹個人編集をうたった河出のこの文学全集は、構成に即して言えば「ほぼ欧米文学全集」なのだが、刊行の最後の最後になって、やっと取り上げられたわけだ。ちなみに、この文学全集に関しては、やはりこの雑語林の209話(2007,12)で触れている。あの文章を書いたときはまだ完結していなかったのだが、全30巻が完結した今、再び点検しても、やはり「ほぼ欧米文学全集」という構成に大きな変化は見られない。出版社の台所事情があるにしろ、そういう偏った構成になったことに対して、池澤個人を批判するのはコクというものかもしれないが、アジア文学のあまりの少なさには、編集長である池澤は出版社に対して「異議あり」の声をあげてもよかった。209話では、「ほぼ欧米文学」を「世界」と考える池澤個人の思考範囲を表した全集だという批判をしたが、本当にそうなのかはわからない。「ほぼ欧米文学全集」が池澤の本質なのか、そうではないが「できるだけ多く売りたい」という出版社側の思惑が優先したのか、どちらかわからない。編者と出版社との戦いで、これがギリギリの線だったのかもしれないという気もしないではないが、結果的にはやはり「ほぼ欧米文学全集」であり、そのことに私のように異論や疑問をさしはさむヤカラは、ほとんどいないというのも事実だろう。
 チヌア・アチェベがなくなった翌日、早稲田大学教授の村井吉敬氏がなくなった。村井氏とはまったく面識はないが、その著書はかなり読んでいる。読んではいるが、その文章にある「正義」や「日本批判」といった論法はハナについていた。同じテーマの文章を書いてきた鶴見良行氏の著者には「旅人」の感覚と好奇心を感じたのとは対照的だ。村井氏の著作で、唯一「これはいい」と思ったのは、『スンダ生活誌』(NHKブックス、1978)だ。1975年、若き研究者がスンダ(インドネシア・ジャワ島西部)での生活を始めた。外国生活にもインドネシアにもまだ慣れていない研究者の、右往左往する揺れがおもしろい。意識せずに、研究者の「生の自分」が出ているのが、いい。経験と知識を積むと、天下国家を語りたくなってくるようだが、そうなる前の「初々しさ」が私の好みに合っている。以前に、そういう話を、雑語林344話で書いた。
 この『スンダ生活誌』をいまアマゾンで調べると、とんでもない値段がついているので驚いた。こんな値段で買うほどではないが、アジアに興味を持つ大学生のために復刊してもいいとは思う。