514話 台湾の本

 
 久しぶりに台湾に行こう考えている。いままでだって、行きたいとは思っていたのだが、諸事情により行く機会を逸していた。80年代初めに行ったのが最後だから、もう30年も行っていないことになる。その間、台湾経由でタイに行ったことがあるが、途中降機ができなかったので、空港から台湾を眺めただけだった。
 日本から近い台湾とはいえ、行くとなれば3泊4日の旅行などおもしろくない。数週間は旅行したいと思えば、仕事の都合上今すぐというわけにもいかず、出発までにまだだいぶ時間がある。そこで、台湾関連書でも読もうかとネット書店も含めた各種書店で古本・新刊を片っ端から当たってみたが、読みたい本はほとんどない。読みたいと思い、しかしまだ読んでいない本も、ない。
 台湾の本をよく読んでいたのはもう20年ほど前までで、それ以後ほとんど読んでいないのは、台湾に対して興味を失ったからではなく、読みたくなる本があまりなかったからだ。最近出ている台湾の本というのは、若い女が書いたイラストガイドのような本で、これは台湾書に限ったことではなく、旅の本といえば、どこの国のものであれ、若い女(比較的若い人も含めて)が書いたイラスト&写真満載のガイド風旅行記だ。
 台湾には、ほかの国にはない「これぞ台湾本!」というジャンルがあって、ガイド以外の台湾の本はほとんどこのジャンルにおさまる。典型的台湾本というのは、2種類あって、その1は「懐かしき、日本時代の台湾」、その2は「日本と日本人をほめたたえる台湾人の本」。つまり、日本人を嬉しい気分にさせる本なのだ。こういうタグイの本を出してはいけないと言わないが、この手の本しか出ないということに問題ありと言いたい。この手の、同じような本ばかり出るということは、日本をほめている本を読んで自己満足している中高年しか、台湾の本は読まないということなのだろう。司馬遼太郎深田祐介にしても小林よしのりにしても、情報源はいずれも日本語世代に限られるから、いつも同じ話で終わる。「台湾の言葉ができればそれで良し」とは言わないが、日本語世代の政府要人だけが情報源という御膳立て&ご招待取材の問題は大きい。これが他の国について論じた本なら、たちまち多くの批判が出てくるはずだが、台湾本読者たちはその弱点に気がつかない。「日本はすばらしかった」と言われると、もうそれだけでうれしくなって、何も見えなくなり、何も考えなくなるのだ。20年ほど前には、もう少しまともな本も出ていたと思うのだがなあ。
 日本時代の台湾関連の本でも、例えば片倉佳史(かたくら・よしふみ)さんの本は鉄道といったテーマ性もあり、プロの書き手の腕もあり、本として完成品なのだが、そのレベルの本は少ない。だから、誤解のないようにもう一度書いておくが、昔の台湾のことは書くなと言っているのではない。私が問題にしているのは、台湾関連書の内容に幅がなく、書き手の力量もお粗末ということなのだ。
 「日本統治時代に、こんな素晴らしい日本人がいた」という例でよく登場する土木技師八田與一も、何度も何度もマスコミで紹介されると、ある種の政治的意図を感じるのである(小林よしのりの『台湾論』では、始まってすぐ、なんと3ページ目にもう八田が紹介されている)。植民地時代の朝鮮にしても、八田のように「こういう素晴らしい日本人がいた」といって紹介されることがあるが、それは「だから、日本の植民地支配は誤りではなかったでしょ。こういう善行を施す日本人もいたんですよ」という主張をして、植民地支配の後ろめたさを隠そうとしているように見えるのだ。
 台湾に行って、日本語をしゃべる台湾人と在住日本人としかつきあいがないと、情報が限られる。これが台湾旅行記の問題点だった。しかし、日本時代に日本語を叩き込まれた日本語世代はもうほとんど別の世界に旅立たれてしまい、昔のように、どこの横丁を歩いていても、日本語で話しかけられるというようなこともなくなっただろう。
 1994年と95年に出た『台湾万葉集』(正続)の2冊は、台湾人のある世代の感情を知る貴重な資料で、かつ感動的な本だった。あの本が出てからそろそろ20年がたつ。この20年間に、私は台湾の本を10冊も読んだだろうか。『台湾海峡 一九四九』(龍應台著、天野健太郎訳、白水社、2012)は最近まれに見る名作なのだが、『台湾論』(小林よしのり)を高く評価する人もこの本を読めば、多少は思考力が鍛えられるのかもしれないと思う。相も変わらず、本省人外省人の対立構造で台湾を理解し、本省人は反国民党でかつ反中国で独立を目指す親日家という固定観念から抜け出せないでいる人たちだけが、台湾に興味を持つような気がする。例外はいるが、少数だ。
 もし、どなたか、「こんな素晴らしい本があるぞ!」という本があったら、ぜひご紹介ください。