595話 山田學が語る海外旅行産業史 3/4

 道祖神

 『旅は人に生きる喜びを与えるものです』と言う本の副題は、「塾長・山田學の物語」となっているのだが、いままで「塾」の説明をしてこなかった。中小の旅行会社の経営者たちは、長年旅行業界に身を置いて大活躍してきた山田を講師に迎えて勉強会を作ろうと考えた。会員たちは、会の名称を「山田塾」としたかったようだが、山田は拒否して、いつも会を開く霞が関ビル36階(ここに山田の勤務先全日空ワールドがある)にちなんで、「36会」とした。
 この本には、会関係者たちの座談会のページが挿入されていて、知っている人が登場するかも入れないと思っていたら、やはり,ひとりいた。その人の経歴を、本書から引用する。
 「熊澤房弘(くまざわ・ふさひろ) 1946年(昭和21年)生まれ。1970年前半に海外放浪し、1978年にアフリカ専門の旅行会社である株式会社道祖神を設立。現在は株式会社TABI’Z代表取締役として、旅の専門連合会「旅専」事務局を担っている」
 私は、東アフリカの旅を終えての帰路、タイに立ち寄った。1982年のことだ。バンコクのマレーシアホテルそばにあるなじみの旅行社「チャーリーズ・トラベル」で、日本までの格安航空券を買うためだ。事務所に日本人客がひとりいて、それが旧知の旅行雑誌「オデッセイ」の岩瀬編集長だった。私の行きつけのこの旅行社を編集長に紹介したのは、私だった。
 「これ、出たばかりで、ここに置いてもらおうと思って持ってきたんですよ」といってバッグから取り出して見せたのが、手書きのガイドブック『東南亜細亜』(水越有史朗、1982)だった。「オデッセイ・トラベル・ハンドブック」と表紙にあり。オデッセイはいよいよ単行本の出版に手をつけたと知った。
 「ねえ、このシリーズの東アフリカ編を出す気はある? 」
 「うん、あるよ」
 バンコクの安飯屋で簡単な打ち合わせをして、帰国したらさっそく手をつけることに決めた。
ガイドブックの企画を自分から持ち込んだのだが、ガイドを書くために東アフリカを旅していたわけではない。ただ旅をして、気がついたことをちょっとメモしてきただけだ。アフリカの旅行資料など、ほとんど持っていなかった。東アフリカのガイドブックは、まだ英・独・仏各語でも、出版されていなかったはずだ。その当時の私の知見では、イギリス人が個人的に ”Overland to Africa”という資料を販売していた。これはタイプで打った紙をコピーしただけのもので、1970年代後半にアフリカを旅する友人のためにロンドンから取り寄せたことがあるのだが、その頃は自分がアフリカに行くとは思っていなかったので、コピーもとらず、そのまま旅先の友人に転送した。まあ、コピーが手元にあったとしても、情報が古くて使い物にはならなかっただろうが。日本語では、『アフリカを歩く アフリカ52カ国ガイドブック』(脇野修平編、ブロンズ社、1979)と言う本が出ていると知ったのはアフリカに来てからで、のちに旅行人から『旅行人ノート2 アフリカ』(1996)と『アフリカ アフリカ大陸37カ国ガイド』(1999)の2冊が出るまで、脇野氏のこの本が日本語では唯一の全アフリカ旅行ガイドだったと思う。
 私がアフリカの旅行情報を持っていないことを知ったオデッセイ編集長が、アフリカ専門の旅行会社「道祖神」を紹介してくれた。そんなわけで、目黒の事務所をときどき訪れることになった。熊澤社長の人柄を反映したような優しいスタッフたちに、旅行情報やアドバイスをもらった。本当にお世話になった。ドラマーの石川晶さんや作家の白石顕二さんを紹介してくれたのも、道祖神のスタッフたちだった。
あるとき、社長の熊澤さんが「詳しくは言えませんが、某社がアフリカのガイドを出すという企画が進行中で、ウチも協力することになっていますので、オデッセイ版を出すなら、なるべく早く出した方がいいですよ」と言った。その某社が、ダイヤモンド・ビッグ社だということは明らかで、大金をかけたプロジェクトが結実すれば、私がひとりで書いている貧乏ガイドなど、サバンナの風に舞ってしまう。国会図書館の蔵書リストによれば、『地球の歩き方 東アフリカ』のもっとも古い版は1986年出版のものだ。これが初版だとすれば、私の『東アフリカ』が83年の出版だから、かの地球の歩き方でさえ、アフリカ編は簡単に出せなかったことがわかる。
 冒頭に引用した熊澤さんの経歴によれば、現在はすでに道祖神を離れていることがわかる。さて、社長が変わっただけなのか、それとも倒産したのかが気になって検索してみれば、道祖神は現在も誠意営業中だとわかった。まことに喜ばしいことだ。小さな旅行社が倒産しても、何の不思議でもない昨今の経済事情だから、社長や社員の努力の結果「健在している」ということだろう。あのときお世話になった池田裕子さんはまだ在職されているし、菊池優さんは社長になっている。ナイロビのDODOWORLDも誠意営業中のようで、やはりお世話になった遠藤喜孝さんが社長を務めている。
 熊澤さんは現在どんな活躍をなさっているのだろうかと思い、インターネットで調べていたら、ありがたいことに熊澤さんの自伝のような文章が見つかった。「地球の歩き方 arukikata.com」のなかの、「地球の歩き方 旅の達人ブログ」で3回に分けてアフリカ青春記を発表している。願わくば、旅行会社設立のいきさつや現在までの道のりも、後輩のために書いていただきたい。日本人のアフリカ体験史の重要な資料になるはずだ。
 http://blog.arukikata.co.jp/tatsujin/_05/2007/08/post.html
 道祖神のHPには、会社の歴史ページもあるが、   http://www.dososhin.com/company/history/
 箇条書きではない歴史を読みたい。じつは専門旅行社や格安航空券会社の歩みは、あまり明らかにされていない。日本人の個人旅行史研究の資料には絶対に必要なものだ。