615話 ああ、ひどい。「ニッポン戦後サブカルチャー史」

 NHKEテレで、「ニッポン戦後サブカルチャー史」という番組が始まった。8月1日(金曜日)が第一回の放送で、全10回もやるらしい。講師は、劇作家の宮沢章夫。第一回の放送を見て、「なんじゃ、これ。ひでーなー」と思った。
 まず、「サブカルチャー」の意味を明確に説明しないので、全体的にあやふやなものになってしまった。「サブカルチャーは1956年に生まれた。なぜなら、この年にプレスリーがデビューしたからであり、私が生まれたからだ」という宮沢説に、「異議なし」と言う者が宮沢以外にいるだろうか。
 第一回の放送分だけで判断するが、この番組で扱うサブカルチャーというのは、アメリカの場合「白人の文化限定」なのだ。「サブカルチャーは豊かな白人の若者が生み出したものだ」と規定するなら、そう説明しておかないとわかりにくい。
 明らかな間違いもある。1945年8月に戦争が終わり、日本人は初めてアメリカ文化に触れたと解説する。生徒役の風間俊介ジャニーズ事務所)が、アメリカ文化が流れ込んできて「若者はすぐになじんだでしょうが、大人は抵抗があったでしょうね」といった意味の発言をしている。この発言に対して、宮沢はなにもコメントしていない。
 世間では「戦争が終わると、とたんに『アメリカ万歳!』といい出す者が増えて、日本人の変わり身の早さを表している」といったことが始終言われているが、戦前の都会では、アメリカ文化がすでに大量に入っていたのだ。もちろん、東京や大阪などの大都会の住民に限った話だが、映画やジャズなどの音楽やオペレッタなどのミュージカルがあふれていた浅草を、宮沢は無視しているのか、あるいは知らないのか? 
 戦前にも、アメリカ映画や音楽などの華やかさは、榎本健一などの活躍や、小林信彦のさまざまなエッセイ、古川ロッパ徳川夢声の日記など、資料はいくらでもある。戦前に日本人は、アメリカ文化が大好きだったのだ。アメリカ文化の流入は、戦争で数年間中断だけで、戦後すぐに元に戻ったのだ。だから、「鬼畜米英」を心底信じていた日本人が、一気に「アメリカ万歳」に転向したのではなく、もともと「アメリカ万歳」だった日本人が、戦時中の数年間だけ「鬼畜米英」を叫ぶふりをしていただけだのことなのだ。これは都会の若者の話で、映画などまったく見ることもなく山漁村で育った者の性向はまた違う。
 この講座の欠点は、全10回も講義をするのに、「ニッポン戦後サブカルチャー史」の前史となる戦前編を無視したことにある。1950年代に、突然ロックンロールが誕生したわけではない。アメリカの黒人音楽の歴史を無視している。ブルースやジャズやゴスペルは黒人文化だから無視したというわけか。また、戦後の占領期に、日本人がジャズやラテン音楽を初めて聴いたわけではない。例えば、こういう情報はネットで読むことができる。
 「日本ジャズ史―その黎明の時代」(菊池清麿)
 http://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub10.html

 第二回の放送は8日。一応は録画しておくが、多分、また文句を言いたくなるだろうな。