637話 さて、どこに行こうか

 この秋に、どこに行こうかと考えた。まだ行ったことのない国のなかで、もっとも行きたいのはブラジルなのだが、時と場所を選ばずに散歩をしたがる私のように旅行者には、ブラジルはあまりに危険らしい。行ったことがある国で、また行きたい国のひとつはケニアなのだが、ここもあまりに危険だ。私は戦場愛好者ではないし、「旅は肝試し」だと思っているわけではないので、旅行先は気楽に旅できる地にしたい。
 「さあ、どこにしようか」とあれこれ考えて、ふと頭に浮かんだのはインドだった。インドには、1973,74,78年の3回行っているが、最後の旅から36年たっている。36年間インドに行かなかったのは、行きたいとは思わなかったからだ。インドを離れてタイに着いた時の安堵感を今も忘れない。穏やかに、静かに、誰にも煩わされることなく旅できる地域が東南アジアなんだとわかり、それ以後、東南アジアを中心に旅するようになった。
 それなのに、なぜ突然、「インドへ!」と思ったのかというと、北インド料理を本場で食べたくなったからだ。日本で食べるインド料理が、なんだかおもしろくなかったからだ。濃厚な北インド料理を食べた後、道行く人を眺めながら、のんびりチャイを飲む。そういうひとときが懐かしくなったのである。
 今から十数年前にも同じような感情が湧きあがってきたことがあった。インドで食べた料理の多くが、魅力的に思えてきたのだ。それは、私が極めて貧乏で絶えず腹を減らしていたので、すべての料理をうまいと感じたからなのか、それとも過去を美化したい気持ちの表れなのか、あるいは本当にインド料理がうまいのか、「ねえ、蔵前さん、どう思う」と聞いたら、「幻想でしょうね」と、師はおっしゃった。つまり、「すべてのインド料理がうまい」というのは、私の思い込みに過ぎないのだと。その後2度この話を師にすると、2度とも「僕、そんなこと言ったっけ?」とおしゃった。はい、たしかに言いましたよ。
 そんなことも思い出した今秋、「よし、インドで確かめようか」と思った。デリーで食べているだけじゃおもしろくないので、ラジャスタンにでも行くか。それとも北上するか。そんなことを考えたら、なんだか楽しくなって、インターネットでちょっとインドの画像を見て、翌日、『地球の歩き方 インド』を買ってきた。日本語では、これ以外のガイドはないに等しいのだ。
 なになに、デリーの空港から街まで電車!! すごいじゃないか。時代は確実に変わったようだ。でも待てよ、スリにコソ泥、詐欺師。よれよれの札は受け取り拒否。なんだ昔と同じじゃないか。ビザは全員必要? ビザなし滞在は一切認めない。インターネットで申請用紙に記入して・・・・、申請と受理でインド大使館に2度行かなければならない。デリーの空港で入国直前にビザを取ることもできるらしいが、大混雑で、60ドル。
 つまり、インド政府は、外国人がやって来ないようにできる限りの努力をしているのだ。大使館に通って、「お願いします」と願い出た者には許可してやるという方針だ。空港で、「60ドル払いますから、入れてください。お願いします」と頭を下げる者だけに、入国を許可してやるという方針だとわかって、「それなら、行くか! 行ってやるか!」という気分になってきた。インド政府が「来るな」と言っているんだから、それなら素直に「わかりました」と従うことにしようと決めた。私は素直な旅行者だ。招かれていない現状を、カネの力で解決しようとは思わない。
 インド旅行の計画は、数日で中止が決定された。無期延期だ。天下のクラマエ師などインド体験を重ねた人は、「田舎に行くと、都会とはまったく違うインドがあるよ。平穏なインドがあるよ」とアドバイスしてくれるのだが、私は都市が好きで、田舎が嫌いなのだ。
 というわけで、インドではないどこかに出かけます。例によって、旅先からブログの文章を送るということはしないから、帰国するまで更新されない。パソコンもカメラも携帯電話も持たない旅だから、私にできることは旅先から絵葉書を書くくらいのことで、そういう身軽な旅がいいと思う。出張じゃないんだから、荷物も貴重品も、少ない方がいい。
そういうわけで、このコラムがしばらく更新されなくても、「もしや・・・」と勘違いしないでいただきたい。まあ、来年になっても更新されなければ、「とんでもなく遠い場所に行ってしまった」とご理解ください。
 では、私自身に、ボン・ボヤージュ!