670話 きょうも散歩の日 2014 第28回

 
アンドラに行った 前編

 アンドラに行こうと思った。理由はいくつかある。 
 理由その1・・私は地図少年だった。小学生時代から、地図を見ているのが好きだった。等高線とか地図記号や国旗などに興味を持つ地図少年ではなく、地図を眺めて、日本でも外国でも、想像の旅をするのが好きだった。アフリカの赤道にビクトリア湖があり、熱くてお湯になっている湖かもしれないなどと想像したり、アマゾン川ナイル川の流域を地図で追って行ったりということもやった。友人にも地図が好きな者がいて、「サンマリノ」と言えば、相手はすぐさま地図で、「ここ」と示すクイズもやった。そういう遊びをしていたせいで、フランスとスペインの間に、アンドラという小さな国があることは小学生時代から知っていた。そんなわけで、バルセロナまで来たついでに、その小国にちょっと寄ってみようかと思った。
 理由その2・・バルセロナには少々飽きていたから、周辺の街を旅しようかと思っていた。ダリゆかりのフィゲラスに行くついでに、どこかほかの街にも行こうかと考えていて、フィゲラスと逆方向だが、この機会にアンドラに行くことを思いついたのである。
 理由その3・・ピレネー山脈を見たかった。「ピレネーの向こうはアフリカ」という言葉を昔聞いたことがあり、今調べるとナポレオン1世の言葉らしい。その意味はわかるが、そのことよりも、「ピレネー」という言葉を聞いた小学生時代を思い出し、ちょっと見たくなった。もしかして、もう雪かもしれないという予感もあった。アンドラピレネーの姿をテレビの旅番組で見たことはある。アンドラを旅する珍しい番組の案内人は、大泉洋。偶然見た北海道の伝説的テレビ番組、「水曜どうでしょう」はこういう国にも行っていた。その後何年かたって、2011年の映画「アンダルシア 女神の報酬」(織田裕二黒木メイサ)でも、アンドラがロケ地のひとつだったらしい。この映画を見たのだが、あまりのつまらなさに記憶を失い、いま資料を読むまで忘れていた。忘れていたことがもうひとつあった。1975年に、私は鉄道でピレネーを超えていたのだ。ただし、パリ発マドリード行の夜行列車だから、ピレネーは夜だったと思う。列車は国境の駅で長時間停車して、非ヨーロッパ人は列車の外に出るように促され、取り調べを受けた。まだ軍事政権の時代であり、日本赤軍など極左組織が暴れていた時代である。そういうわけで、ピレネーは越えているが、その風景は見ていない。
 上の文章を書いて間もなく、次の資料を読んだら、この記憶はどうも正確ではなかったようで、事実は次のようなものらしい。『スペイン七千夜一夜』(堀越千秋集英社文庫、2005)には、1973年にフランスからスペインに鉄道で入国した話が出てくる。
 「夜中の三時にたたき起こされて、汽車を乗り換えさせられたのは、国境の町エンダイヤであった。荷物を持ってほかの客たちとともにぞろぞろとスペイン領のイルンへ歩き、線路の幅の広いスペイン国鉄に乗り換えた」。
 国境で乗客が降ろされたのは、線路の幅(ゲージ)が違うので、そのままスペインに乗り入れできないからだった。40年目の真実か。線路の幅が違うのは、外敵の侵入を防ぐためにスペインがフランスとは違うゲージを採用したかららしい。
 理由その4・・バルセロナを出なければいけなくなったから。モロッコからバルセロナに戻ってきて、いい宿を見つけた。このままスペイン出国までこの宿に泊まっていてもいいと思ったが、宿は私を受け入れなかった。「11月7日と8日は、前から予約が入っていて、満室ですから泊まれませんよ」と言われていて、それならほかの宿に泊まろうかと宿探しをしたが、どこも軒並み満室だった。この街でいったい何があるのか気になって、ある安宿で、聞いてみた。
 「旅行シーズンはもう終わったというのに、なんでどこも満室なの?」
 「それはね、かなりおかしな女がバルセロナにやって来るからさ。レディ・ガガ、知ってる? 彼女のコンサートがあるので、安宿に予約がいっせいに入ったんだよ」
 この話、本当だろうかとほかの宿で確認をとると、「さあ、どうでしょう」と言ったが、そのホテルも満室だった。のちに、テレビでレディ・ガガの姿をまねた人たちがカメラに向かって騒いでいる映像があったから、コンサートが行われたのは確かで、インターネットで調べると、8日がコンサート当日だったとわかった。ということは、私はレディ・ガガによってバルセロナから追い出されたということになる。私は彼女の音楽にはまったく興味がなく、まともに聞いたことがなかったのだが、トニー・ベネットとのデュエットを偶然に聞いて、ぶっ飛んだ。すごい歌唱力だ(そういえば、2015年のアカデミー賞授賞式の「サウンド・オブ・ミュージック」のヒットメドレーの歌唱もすばらしかった)。そのうまさに感動しつつも、どうしてもエイミー・ワインハウスを連想してしまい、将来が不安になってきた。
 以上のようないくつもの理由で、私はアンドラに向かったのであった。