フィゲラス 寒風が、心と体を吹き抜ける
アンドラからの帰路、ジローナ経由でフィゲラスに行った。サルバドール・ダリの美術館がある街だ。どこの国、どの民族であれ、美術というものにほとんど関心がないのだが、ダリはかなりインチキ臭く、パフォーマーとしておもしろいかもしれないという勘が、この街に行ってみようと思った理由だ。快晴のジローナを散歩してから、鉄道に40分ほど乗っただけなのに、フィゲロスに着いたころには曇天になり、寒い風が吹いていた。列車から降りた人は10人いただろうか。
フィゲラスは小さな街で駅も小さいが、あのダリの美術館があることで知られる街なので、駅構内に観光案内所があった。安宿の場所を聞くと、「そこをまっすぐ行って、右側すぐです」と教えてくれた。言われたとおりに歩くと、バルの2階にホテルの看板が見えた。昼すぎだというのに、店は大掃除をしているようで、「部屋はありますか」と聞くと、店主らしき女が「28ユーロ」と言いながら、2本の鍵をくれた。
「この鍵は部屋の鍵。こっちは建物入り口のカギ。店が閉まっているときは、出入り口は別にあるから、この鍵で建物に入って・・・」というようなことをジェスチャー混じりで説明してくれた。ユーロ紙幣が少なくなっているので、クレジットカードで支払いをしようとしたら、店の読み取り機が故障していて、しかたなく現金で支払う。領収証はない。台帳への記入もなければ、パスポートのチェックもない。闇ビジネスのようで、税金も払わないということだろう。
女主人は2階を指さしただけで案内はなく、カネを受け取るとまた掃除を始めた。2階は真っ暗だった。手探りで電灯のスイッチを探し、鍵についている部屋番号の部屋を見つけた。ああ、窓のない部屋だ。まあ、いいか、1泊だけだから。部屋を点検し、顔を洗い、部屋を出ると、階段を下りたところからバルに行くドアにはすでに鍵がかかっていた。言われた通り建物のドアから外に出ると、バルのシャッターはすでに閉まっていた。掃除を終えてみな帰宅したらしい。
ダリ美術館は、宿から歩いて10分ほどのところにあった。予想したほどの衝撃はなかったが、まあまあおもしろかった。変なことを考えて注目されるのが好きな人だったということがよくわかった。絵は、あまりうまくない。ピカソと比べるのは、酷か。美術館を出ると寒風が吹きぬけていた。美術館に客は多かったが、この街に泊まる人はほとんどいないようだ。街を歩いている人がいない。私とて、この街に泊まりたいわけではないが、バルセロナを追われた身なので、ここ以外のほかに適当な宿泊地が思い浮かばない。フランスはすぐ北だが、フランスに行きたいとはまったく思わない。
昼飯を食べていないが、店はもう閉まっている。駅の方に行けば、やっている店があるかもしれないと思った。営業しているレストランはあったが、ここで中国料理を食べる気がしない。宿近くでパン屋がまだ商売をやっていたので、シナモンロールを1個買った。飲み物を買いに近くの雑貨に行った。インド亜大陸の出身者らしき男が店主だった。体に悪そうな飲料のビンが多くあるが、飲む気がしないので、しかたなく1.5リットル容器の水を買い、宿に戻った。
宿に人の気配はない。廊下は真っ暗だ。フランスで体験したように、人が近づくと自動的に点灯する装置が廊下についているかもしれないと思ったが、そんな上等なものはなく、また手探りで電灯のスイッチを探る。宿泊客は私ひとりらしい。宿の従業員がどこかにいるような気配もない。自分がたてる音以外の音がまったくしないのだ。今この建物にいるのは、どうやら私ひとりらしい。無音の世界だ。テレビがあって良かった。メキシコの映画らしきものを眺めつつ、パンを食べた。
このまま夜を迎えるのはむなしいので、ちょっと散歩をしてみることにした。外はますます寒くなっていた。ジャンパーの襟を立てても、寒風が体に入ってくる。まだ夜には時間があるというのに、視界に人も自動車もない。動いているものが見えないのだ。突然、住民が避難して死の街と化したような感じで、生物反応がない。動きも、音もない。わが愛する熱帯にも、閑散とした街はあるのだが、開け放たれた窓やドアから生活の声と音が聞こえてきた。輝く太陽があり、そよぐ小枝があり、料理の匂いもした。しかし、ヨーロッパの小さな街では、生活のすべては石の館のなかに封じ込められてしまい、街の生物反応がない。静寂は孤独であり、無音に耐えられないと、西洋の小都市では暮らせない。「週末の個人と孤独」などということを考えながら、ちょっと散歩した。
体がすっかり冷え切ってしまい、部屋に戻って温水シャワーを浴びた。軽い夕食を食べようと思い外に出たというのに、寒さとむなしさで店を探す気がなくなってしまった。あまりに静かな街を、ひとりで歩きたくなかったのだ。テレビは放送しているが、画質は悪く、おもしろい番組も見つからない。日記を書くテーブルもなく、しばし思い出と遊び、まどろんだ。その日の体調があまり良くなかったせいだろうか、夜にはまだ早い時刻に本格的な眠りに入り、そのまま朝を迎えた。
翌日の、日曜の朝は快晴で、カフェに人がいた。ミルクコーヒーで体を温め、クロワッサンを胃袋に流し入れた。人が歩き、語らい、握手をして、笑っている。そういう風景が私のまわりにあることの幸せと安心を感じた。