752話 インドシナ・思いつき散歩  第1回


 発端


 いつものように、どこかに行こうと思った。ただ、ふらふらと、地球のどこかを漂っていたい。「死ぬまでに絶対行きたい50の街」とか「どうしても見たい50の遺跡」などと言うものは、私にはない。気分のいい散歩ができれば、それでいいのだ。
 今年できる旅が、来年も同じようにできるとは限らない。若いころはそんなことは考えなかったが、私の周りの友人知人親族にいろいろと不幸なことが起こり、旅はいつでもできるわけではないとつくづく思うようになった。だから、今できる旅を、今しよう。今旅ができるなら、今しようと思った。カネが豊富にあるわけでは無論ないが、「みろよ青い空白い雲 そのうちなんとかなるだろう」(「だまって俺について来い」)という青島幸男思想の信奉者だから、将来のことは考えない。誰にも同じような将来があるとは限らないのだから。
 さてどこに行こうかとあれこれ考えて、やはりいつものように、ニューヨークはどうだ、サンフランシスコもいいぞ、またアムステルダムに行きたいな、香港にはしばらく行ってないなと、センチメンタルジャニーではないが、かつて訪れたことのあるこうした街への再訪を考えたが、まだ行ったことのない街を歩く新鮮さも魅力的だとも思う。行ったことがなくて行きたい場所はどこかなあ・・・、などと頭に浮かんだ候補地への航空券事情を調べ、そこでの旅を想像し、物価なども考えた。やはり、アメリカドルとユーロ使用圏(それとイギリスポンドスイスフランも。簡単に言えば、欧米)は物価が高く、貧乏人にはつらい旅になることはわかりきっている。カネがないからといって、たかだか1週間の旅で切り上げようという気にもなれず、あれこれ考える。地図を頭に描き、候補地の情報が頭の中を行き交い、魅力的かどうか考える。
 ふと「ちょっとだけタイに行こうか」と思った。最近では3年前に行ったのだが、どうもバンコクとは相性が悪くなっている。軍事独裁政権は見苦しい。浮かれたバブル感に、うんざりしている。あの街に長く居ようとは思わなくなり、かつてほど頻繁に行く気にはなれない。そういうわけで、私のバンコク情報がかなり錆びついている。ライターをやっている以上、タイに関する知識を最新のものに更新していく必要があり、またちょっと調べておきたいこともあったので、短期間だけタイに行こうかと考えた。タイの地方都市には、ずいぶん行っていないし。タイで発行している日本語雑誌「DACO」にコラムを連載をしているので、編集者たちと久しぶりに食事をしながら雑談もしたい。
 「タイに来るなら、ちょっとやってほしいことがあるんですが・・・」という友人のメールがあった。ちょっとした仕事の依頼だ。それは引き受けてもいいが、そのままバンコクにとどまる気はない。仕事が終わったら、バンコクからすぐにどこかに出よう。どこがいいだろうかと考えて浮かんだのが、まだ行ったことがないベトナムハノイだった。ハノイの旧市街は、散歩好きの私と相性がいいような気がする。サイゴンはおもしろいが疲れる街だが、ハノイはのんびりと散歩するには絶好な街のような気がする。ほかにおもしろそうな街はどこだ。いつも候補になり、なかなか実現しないインドネシアの、まだ行ったことのない島はどうだ。
 このように、旅に行く前にアレコレ考え、旅行先を絞っていくのは楽しい。絞り込んだ候補地を、とりあえずの目的地にするか、それともしばらく滞在地にするか考える。仮の目的地なら、ほかにはどこに行くか、どういうルートで移動するかなどとプランを練る。プランと言うよりも、むしろ妄想と言った方がいい。けっして旅行計画ではない。私には計画などまったく無駄だということは、とっくにわかっている。その日の、その時の気分で行き先など簡単に変わるのだから。日程表とか、旅の計画書など作ったことがない。明日どこにいるのかがわからない旅がいい。そういう自由さが、「旅をしている」という解放感だ。
 本を読んだり、インターネットでいろいろな画像を見たりして旅行先を決めたことはない。行き先は、決めようとして決めるのではなく、「どこかに行きたいなあ」と思っているうちに、候補地が次々と頭に浮かんでくるのである。
 いつものように、これから旅の話が始まる。書きたいことはいくらでもあるので、長くなりそうだ。「お楽しみに」といえる内容になるのかどうか、私にはわからない。読者のために旅をしたのではなく、自分の楽しみのために旅をしてきたのだから。