ウガリの弁明
「ケニア人の主食はウガリである」と断定してしまうと正確ではないが、「多くの人はウガリをよく食べている」とは言える。インターネットに「ウガリはまずい」といった説明が多いせいだろうが、ウガリなど食べたことがない学生がそう信じ込んでしまうのは無理もない。ナイロビではウガリをよく食べていた私としては、ウガリの弁護をしたい気分になる。私がナイロビにいた頃でも、「ウガリがうまい」と言っている旅行者には会ったことがない。「あんなものが?」とけげんな顔をされた食べ物である。
そもそもウガリとはどういうものかという説明は、歴史や地域を踏まえていないと見誤る。
アフリカ、いわゆるブラックアフリカの主食となるでんぷんは、「練ったもの」である。食文化用語では「かたがゆ」などと呼ばれるが、日本の粥を連想してはいけない。穀物やイモ類、料理用バナナ(プランテーン)などを原料にして練ったもので、日本でいちばん近いのは「そばがき」である。イモやバナナを加熱して、つぶしてペースト状にする。穀類は粉にして、湯で練る。北アフリカやエチオピアでは、練ったものを焼いてパンのようにするのだが、ブラックアフリカでは加熱して練ったまま食べる。
そういう「かたがゆ」を、ケニアではウガリと呼ばれることが多く、地域によっていくつもの名前がある。材料は雑穀やキャッサバなどいろいろあるようだが、現在では都市部では白いトウモロコシの粉を使うことが多い。手順は簡単だが、力がいる。まず鍋に湯をわかし、そこにトウモロコシの粉を少しずついれて、加熱しながら木のヘラで力強くかき混ぜる。時間にすれば10分か15分程度だが、左手で鍋を押さえ、右手に持ったヘラを使い全力で練る。私もやったことがあるが、途中で休みたくなるほどくたびれるが、休むと焦げるので、休めない。全身で、全力で、一気に練るのだ。味はつけない。「ウガリは、味をつけないので、食べられそうにない」などと書いている学生が何人もいたが、日本の白飯にも味がついていないことを忘れている。
出来上がりは、マッシュポテトに近い。もっちりとして、なかなかうまい。このウガリを主食に、炒め物や煮物を食べる。ウガリを一口大くらいつかみ、炒め物の汁をつけて、食べる。私はナイロビの宿の従業員の食事時にお邪魔して、外食の1食分くらいのカネを払って、一緒に食べていた。だから、いつもできたてを食べていた。これがポイントなのだ。ウガリは、冷めるとぼそぼその蒸しパンのようになり、包丁で切らないといけないほど固くなる。こうなると、ひどくまずい。普通の旅行者は、食堂で冷めきったウガリを口にして、「まずい!」と感じ、その印象を文章にしているにすぎない。
そういえば、今思い出した話。アフリカに行く前に、東京にある東アフリカの大使館(どこの国だったか忘れた)でインタビューしていたら、電話がかかった。日本語の電話だが日本人職員が外出中だったので、私が通訳をしたことがあった。「ご注文のトウモロコシの粉をお届けに参ったのですが・・」という業者の電話だった。通訳したあと、大使館員としばらくウガリの話をした。アフリカに行く前だから、まだウガリは食べたことがなかったが、作り方はもちろん知っていた。
ちなみに、ケニアに来て初めて、maize(メイズ)という単語を知った。イギリス英語であるこの語は、アメリカ英語ならcornという。トウモロコシをイギリス英語ではメイズというのだとわかったのだが、辞書を引くと、まだ複雑な事情があることがわかった。イギリスでは、コーンはトウモロコシではないのだ。Cornを手元の辞書で調べると、こういう説明がついている。
「主に英国。集合的に、特定地方の小麦、穀類。イングランドでは小麦(wheat)。スコットランド、アイルアンドではカラスムギ(oats)」。ほかに、「穀物の粒」という意味もあるし、脱穀前のムギ類という解説もある、以上は、「ジーニアス英和大辞典」の要約。
現在のウガリはトウモロコシを使っているが、もちろん新大陸から伝えられてからのことだ。トウモロコシは、16世紀あたりにアフリカに伝わったようだが、すぐに本格的に栽培されることはなく、ながらく雑穀を食べていたらしい。トウモロコシが大々的に栽培されるようになるのは、東アフリカがイギリスの植民地となる19世紀以降のことらしい。
8回に渡って書いてきた学生レポートの話は、今回で終了する。日本が少々寒くなってきたので、しばし暑い国に移動します。書こうと思って集めた資料やメモなどかなりあるが、文章にしないで旅に出るので、このブログもしばらく中断します。残念ながら、昔のように「来春まで、さらば」というわけにもいかないので、年内の再開予定です。「何か読みたい」という方は、ちょうどいい機会ですので、バックナンバーをお読みください。
では、ちょっと散歩をしてきます。