1790話 地域の専門家 その1

 

 民族学者というより食文化研究の大家と言った方がなじみがあるかもしれない石毛直道さんに、あるときこんな質問をしたことがある。

 「どこかの国に留学したり長期滞在して、その国やある民族の専門家になろうと思ったことがありますか?」

 石毛さんはフランスの食文化についても詳しいが、フランス食文化専門家ほどには詳しくない。中国の食文化についても同様に、石毛さんよりも中国食文化に詳しい研究者はいるが、両方の食文化を高いレベルで理解している人は少なく、それに加えてアフリカや太平洋地域の知識も加えて考察できる人は、たぶん石毛さん以外いないだろう。いままでの研究生活のなかで、地域の専門家への道を考えたことがあるのだろうかというのが私の質問だ。

 「ただ、いろんなところに行きたかったんですよ」と、石毛さんはにっこり笑って言った。

 「自分の研究場所を決めると、そこに通うようになり、言葉ができるようになれば、なおさら深い研究をするようになり、それはけっして悪いことではないのですが、ある地域との関係が深くなると、ほかの地域に行く機会が減り、知識も狭くなってしまうんですよ。そんなことにならないように、機会があればどこにでも行くというほうがいいな、と思うんですよ」

 おこがましいことは承知の上で言うが、私も同じタチだ。

ケニアで1年ほど過ごしてみようと出かけたことがあるが、ケニアの専門家になる意図などまったくなかった。日本を出るときは、ケニアに長期滞在して、スワヒリ語を学び、ナイロビの本を書ければそれでいいなと思っていたのだが、ナイロビに着いてすぐに、スワヒリ語学習を放棄した。大きな理由はふたつある。スワヒリ語学校に入ろうと思ったのだが、授業料がそのときの私の全所持金と同じくらいだったので、入学をあきらめた。そこで独学を考えたのだが、多大な努力をして学ぶスワヒリ語でたどたどしい会話をするよりも、英語で実のある話をした方が日常生活が楽しくなるとわかった。ケニアにいれば、ケニア人はもちろん、タンザニア人もウガンダ人もソマリア人たちとも英語で話ができた。かたことスワヒリ語で浅い話をするよりも、英語で深い話をする方がいいと決めた。英語がわからない人はもちろんいくらでもいるが、ケニアは学校教育は英語を使っているから、話し相手に苦労はしない。

 ナイロビの本を書くという計画は、ひと月ほどで断念した。ナイロビは、都市としての魅力に欠けると感じられた。学術的な研究をするなら、例えば「ナイロビ 100人インタビュー」というような企画なら1冊の本になるが、私の興味はそこにはなかった。単調な食生活にも飽きて、「ナイロビに1年滞在」という当初の目論見を短縮した。ナイル川を下ってスーダンからエジプト、そしてギリシャへの旅に変わった。

 あのときは意識していなかったが、のちに文化人類学川田順造が提唱する「文化の三角測量」という考えを知って、なるほどと思った。日本では「日米比較」とか「東西比較」などということをよくやるが、2点にもう1点加えて、文化を三角測量して見れば、物事がより立体的に見えてくるというのだ。例えば、日本とフランスの比較に、西アフリカの視点も加えれば、見えてくるものが増えると川田はいうのだ。

 東アフリカに滞在した経験は、のちの私に「もうひとつの視点」を与えてくれることとなった。アメリカに留学して、アメリカのことしか知らない人間にならなくてよかった。