753話 インドシナ・思いつき散歩  第2回


 LCCはつらい。そしてタイ人旅行者

 昨年のヨーロッパ旅行に快適なカタール航空(LCCではない)を使った経験で言えば、LCCは台湾か、せいぜい香港くらいまでならいいが、それ以上時間がかかる場所への旅はちょっと考えた方がいいと思った。LCCで東京・クアラルンプールの旅をしたことはあり、その時は他社の便との利便性や価格などを考えて、「価値あり」と判断した。窮屈だったという記憶は、ほとんどない。今回初めて使ったAir Asia Xのバンコク便は、絶対的には安いのだが、相対的には安くない。食事や荷物料金、機内での映画などオプションを増やしていけば、LCCではない他社の便との価格差はほとんどなくなり、座席の狭さが欠点となって残る。バンコク便でいえば、LCCが一般の航空会社の料金よりも1万円安いという程度なら、私はもうLCCを使わない。
 それはそうと、ちょっと気がついたこと。使用機は、資料によればA330―300らしい。座席が1列3・3・3席というのは、さてすでに体験しているだろうか。記憶がないなあ。初体験だったのは、トイレの窓だ。タイに行くときはトイレに行かなかったので、帰国便で出会った(乗り物に乗ると6時間でも7時間でも、トイレに行かないのは普通だ)。いわゆる「男子小用」の姿勢をとると、便器の向こうに窓があり、青い空と白い雲が見える。大空に放尿しているような気分で、なかなかにいい眺めである。女性にはなかなか味わえない醍醐味である。
 機内のアナウンスは、いままで聞いたことがないほどヘタな英語だった。ヘタはヘタでいいのだが、人に伝えたいという意思のないアナウンスだった。テキストを早口で棒読みしているだけで、しかも非常に強いタイ語訛りだから、タイ人の英語に慣れている私でさえ、さっぱり聞き取れない。わからなくて困るという内容ではないのだが、「やっつけ仕事」の例として、客室乗務員訓練教材として使えそうだ。
 日本とタイを結ぶ航空機なのだが、乗客の圧倒的多数はタイ人だ。この路線は、かつては日本人や欧米人が多かったのだが、タイ人に日本へのビザなし入国が認められるようになったため、タイ人旅行者が急増している。
 今回の旅の直前に大阪へ行ったのだが、環状線でも地下鉄でも新世界でも、そしてカレーのあの自由軒でも、黒門市場でも、タイ語を耳にした。日本でこれほどタイ語を耳にしたことはかつてなかった。
 ついでだから、自由軒の話をしておこう。「さて、きょうの昼飯は何にしよう」と考えながら散歩していると、目の前に見えてきたのは創業100年を超えるカレーの店自由軒。数年前にも行ったのだが、「どうせ大阪で食べるなら大阪のものを」と思い、席があるかどうか覗くと、すいていた。このカレー屋は、ご飯とカレーを混ぜて炒めて客に出すことで有名なのだが、メニューを見ると、混ぜないカレー(つまり普通のカレーライス)があったので、注文してみた。
 客が次々と入ってくる。英語での注文が多い。「びっぐ? すもーる?」(大盛りか普通盛りか)などと客に聞いている声が聞こえる。まさか、この歳になって、英語を使うことになるとは思わなかったと、店のおばあちゃん、おばちゃんたちは思っていることだろう。客はいずれもアジア人の顔つきで、ふたりで来た人の会話に耳を澄ますと、中国語(中国人か台湾人かの区別はつかない)と韓国語が聞こえる。ひとりで来た客の国籍はわからないが、日本語で注文しているのは少数派だった。そういうなか、ぞろぞろと店に入り、5人でテーブルを囲んだのはタイ人だった。話し声ではっきりとわかった。ここの名物カレーは、カレー汁をフライパンに入れ、ご飯を入れて高温で炒めるので、通常のカレーよりも熱い。猫舌が多いタイ人にはつらい料理で、だからスプーンですくって、フーフーと息を吹きかけて冷ましている。熱々の日本の料理の熱さは、タイ料理の熱さとはレベルが違うのだ。
 大阪で、日本のカレーをわいわい騒ぎながら食べているタイ人。地下鉄の車内で静かにしゃべっているタイ人のカップルもいた。タイは、確実に変わりつつある。車を買うことが夢であった人たちが、カネを使っても思い出しか残らない旅行に、大金を投じている。そういう時代になったのだ。今回の旅でもタイ人旅行者によく出会ったので、この話を書いておきたくなった。