765話 インドシナ・思いつき散歩  第14回


 2等列車の旅 後編


 夕暮れて間もないころに止まった駅では、乗客の出入りが多かった。この駅から乗ってくる客のために、私は向かいの席に伸ばした足を引っ込めて、あぐらをかくことにした。私の向かいの座席に珍しく若い女が乗ってきた。20歳(はたち)そこそこか。大きな袋を肩に担いだ男がそばに来て、その袋を椅子の間に置いた。男は女に何か言い、列車を出て行った。親子だろう。街に戻る娘を、父親が駅まで送ってきたのだろう。窓側に座っている私には、ホームに立ち、列車のすぐ外で、娘をじっと見つめている父親の姿が車内の照明に照らされてはっきりと見えているが、娘はぼんやりと車内を見ている。列車が動き出して、父が窓の外にいることに今初めて気がついて驚いたかのようなふりをして、娘はちょっと手を振った。父はゆっくりと片手をあげ、じっと娘を見つめている。別れのつらさが顔に表れている。列車が動き始めて5秒後に、娘はバッグからすばやくスマホを取り出した。体はまだ故郷にあっても、心はすでに街の友人と繋がっている。
 山里の駅から乗りし娘あり膝のバッグのHERMÈSや哀し
 手土産に父が作りし米を置き娘よ街で腹を減らすな
 父に似てあまりに重き米袋乗客ふたりが手に持ち外へ
 下車駅に着いたが、彼女ひとりでは、持ち上げることもできないほど重い米袋。10キロ以上はありそうだった。その重さが、娘にはありがたいがやっかいな、父の「思さ」である。
 ヒマだから、頭の中で目の前の光景を表す言葉を探していた。とにかく、時間はいくらでもあるのだから、生まれて初めて俳句や短歌もどきを組み立ててみた。詩歌というのは、貧乏人の楽しみとしてはなかなかのものだなどと思いながら、また思い出と遊ぶ。いままで、日本でも外国でも、駅やバスターミナルや港で、いくつもの別れの光景を見てきた。私は見送る側でも見送られる側でもなく、別れの光景を眺める側であり続けた。
 列車は予定通り、10時間弱でハノイに着いた。300キロの旅に10時間弱かかったということになるのだが、ノロノロ運転だったという気はしなかったし、駅で長時間待たされたという記憶もない。バッグから本を取り出したということもない。昼間は車窓から風景を眺め、日が落ちたら、車内の人を眺め、思い出と想像を遊び相手にした。退屈している時間などなかった。
 ガイドブックによれば、北部からの鉄道はロンビエン駅が終着駅だというので、そこからなら今夜泊まろうと思っている宿まで歩いて行ける。そういう想定だったのだが、駅を出ると、なんだか変だ。駅前は市場があるような雑然とした風景のはずだが、ここは官庁がありそうな場所だ。地図を見ても、ロンビエン駅前とは道路の形が違う。もう夜の10時過ぎだというのに、荷物を持ったまま、道に迷ってしまったようだ。
 歩道の屋台で宴会をやっている若者たちがいた。男は皆ワイシャツ姿だ。会社員か。もしかして英語が通じるかもしれないと思い、話しかけた。英語が話せる男がいた。私の質問に首を傾げ、何度も質問し、「ああ、わかりました。勘違いしているんですよ」といった。私が降りたのはロンビエン駅ではなく、ハノイ駅だった。東京に当てはめると、こういうことだ。東北本線の終点は上野駅だとガイドブックに書いてある。だから、私は終点まで乗った。上野駅で降りたと思っているのだが、列車は上野駅を通過して東京駅まで来ていた。私は八重洲を上野だと信じて歩き始めたから、わけがわからなくなった。そういうことらしい。
 「ここから旧市街まで、3キロくらいはあります。もう夜ですし、荷物もあるので、タクシーで行ったほうがいいです。私が交渉しますから、ちょっと待っていてください」
 ワイシャツ姿の青年は、歩道の宴会の席からだいぶ離れて大通りに立ち、タクシーを探した。しばらくしてタクシーが来て、運転手と何やら話している。運転手が首を振っている。
 「道を知らないと言っています。もうちょっと待ってくださいね」
 ふたりとも、目はタクシーを探しつつ、時間つぶしの立ち話をした。友人たちの宴会は続いているのに、私につきあわせて申し訳ない。数分待って、またタクシーが来た。運転手に私が行きたい場所を説明している。
 「OKです。このタクシーが行きます。メーターがいくらになっても、5万ドン以上払う必要はないです。さあ、乗ってください」
 「ありがとう」
 「Have a nice stay in Hanoi !」
 ハノイにはきっといい人がいっぱいいるにちがいない。ハノイ散歩は、きっと楽しいだろう。もうこの街を出ないことに決めた。これからは、ずっとハノイにいようと決めた。