794話 インドシナ・思いつき散歩  第43回


 母を想う その1


 ある場所を舞台にした本をその地で読むことを、私は「臨場読書」と呼んでいる。今回のベトナム旅行では、本棚に何冊かあるベトナム文学の翻訳書を持って行こうかと考えたのだが、すでに読んでいる本を持っていく気にはなれない。ハードカバーの本は重いし、読んだあと捨ててくるということもしたくない。さて、どのようにしようかと迷っているときに新刊書店で見つけたのが、出たばかりの『ベトナムの風に吹かれて』(小松みゆき、角川文庫、2015)だった。つまらないタイトルだ。『風よヴェトナム』(平岩弓枝)を連想させるからなおさらだ。本の帯になっているバイクに二人乗りしている母子の写真を見て、本の内容がすぐにわかった。知っている本の文庫版だ。この文庫の著者紹介を引用する。
 「小松みゆき 1947年新潟県生まれ。15歳で上京、出版社などで働きながら、高校、短大で学び、法律事務所に就職。92年、日本語教師としてベトナムハノイへ。2001年、認知症の母親とベトナム暮らしを始める。07年、『越後のBaちゃんベトナムへ行く』を刊行。新しい介護の形として注目を浴びる」
 元の本が出てから8年たったハノイの夜に、この文庫版のページを開いた。読み始めて、ふたりの人を思い浮かべた。ひとりは、私の母である。もうひとりは、アジア文庫の大野さんだ。この文庫の元になった単行本、『越後のBaちゃんベトナムへ行く』(小松みゆき、2B企画、2007)を私に強く勧めたのが、大野さんだった。Baちゃんというのは、「婆ちゃん」、つまり著者の母のことだ。
 神田神保町のアジア文庫に行くと、すし屋の客をまねて、「きょうはいいネタ、入ってる?」などと店主に声をかけると、ある時は黙って首を振り、ある時は「これは、どうですか?」と店主一押しの本を紹介してくれた。それが、私と店主のいつものやり取りだった。大野さんは私の趣味をよく知っているから、仕入れの段階で、「こういう本は、前川さん好みだな」などと考えていたそうだ。
 『越後の・・・』は自費出版だから、普通の書店では扱わない。だから、ほかの書店では手に入らないのだが、そういう本はアジア文庫にはいくらでもあった。だから、入手困難だから勧めたわけではない。大野さんの熱心な勧めに反して、私はその本を買わなかった。理由はいくつもある。あの時期、素人が書いた紀行文や滞在記の自費出版物をまとめて読んでいて、「もうけっこう」と食傷していたからだ。文章のプロが書いたちゃんとした本を読みたい気分だった。そして、ベトナムに限らず、この時代の東南アジア関連書にはおもしろいものはないことがわかっていたからだ。今、このベトナム旅行記を書くためにベトナム関連書を再チェックしているのだが、21世紀に入ってから出た本で、「これはいいぞ!」と言えるものはやはりほとんどない。私の勘は当たっていたのだ。
 あれから8年たったハノイの夜に、文庫に姿を変えたあの本を読んだ。新潟に住んでいる著者の父が死に、母ひとりになったのだが、認知症にかかっていてひとりにしておけない。金銭的なことも含めて、施設にあずけることもできない。中学卒業とともに上京し、以後母とは暮らしていない著者は、この際、ベトナムで母と暮らそうかと考えた。それが最良の方法だと思えた。ハノイでの母と娘との、波瀾万丈・悲喜こもごも、騒乱と慈愛の生活を書いたのがこの本だ。母の方言の活字化が見事だ。
 大野さんの勧めに乗って、あのときに読んでおけばよかった。ページをめくりながら、2007年以降の大野さんを思い出していると、バラバラになっていたジグソーパズルのピースが合致してきた。ある日、「著者の小松さんが店に来てね・・」と言った。本ができたので、販売しているアジア文庫にあいさつに来たのだ。この文庫を読んで、それが2007年に著者が母を連れて日本に一時帰国したときだとわかる。そういう話題のなかで、大野さんは『越後の・・・』を私にまた勧めた。本がおもしろい。著者が魅力的だ。アジア文庫でもよく売れている。そういう話をしたが、やはり私は買わなかった。意地を張っていたわけではない。ほかに読みたい本がいくらでもあったのだ。(以下、つづく)