758話 インドシナ・思いつき散歩 第7回


 ハノイの真っ赤なコカコーラ


 ハノイに着いたのは夜だったので、初日は宿の近くで夕食にいい店を探すくらいの散歩しかしていない。翌日から、本格的なハノイ探検だ。旧市街は、想像していたとおりに、いい意味で騒々しく、建物もおもしろく、歩いていて楽しかった。
 路地から路地へと歩いていたら、音楽が聞こえてきた。音の方に近づくと、「城東亭」という額を掲げた建物から聞こえてくる。「亭」はベトナム語では「ディン」となり、『ベトナムの事典』(同朋舎)によれば、「村落守護神の神社」ということらしい。境内に足を踏み入れると、祠の前で生演奏をしているのが見えた。いい感じの音楽だ。その日は強い日差しでかなり暑かったのだが、日なたに立ったまま演奏を聴いていた。
 演奏者は3人いる。中国やタイでもなじみがある二胡(日本では間違って「胡弓」と呼ばれることがある)と、琵琶のようなダン・ティ・バー、そして四角いギターのような楽器だ。胴が四角いベトナムの弦楽器といえば、ネックの長いダンダイが有名だが、これは歌手が弾き語りに使う伝統楽器だという。私が見たのはもっとギターに近い形で4弦だった。ブルースファンならボ・ディドリーの四角いギターを思い出すだろう。
   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC
 ベトナム音楽の資料を読むと、改良型ベトナムギターがあるようだが、こういう宗教施設で使う楽器なのかはわからない。楽器そのものの来歴はわからないが、すばらしい音と演奏であることは間違いない。聞き慣れれば、奏者の優劣がわかってくるのだろうが、そこまでベトナム音楽をきっちり聞いたことはない。
 しばらく演奏を聴いていると、おばあちゃんが近寄ってきて、木の下の椅子に座るようにジェスチャーで示した。遠慮なく腰かけて、のんびりと演奏を聞いた。打楽器がないからか、強弱があまりない音楽だが、決して退屈ではない。ゆったりした気分になれる。ハノイの散歩は、一日目から大成功だ。
 あのおばあちゃんが、私の隣りに座り耳元で何やらしゃべったが、ベトナム語だから私にはわからない。私が何度も首をひねっていると、別の言葉でささやいた。
“Français ? ”と言ったように聞こえた。「フランス語をしゃべるか?」という意味だろう。ベトナムは元フランスの植民地だから、フランス語ができる人はいくらでもいるだろうが、このおばあちゃんは話せるのだろうか。
 ”Parlez-vous français ? ”(フランス語、話すんですか?)と聞いてみた。
 “Oui , oui ”
 私のフランス語が通じたのはいいのだが、私は「oui,oui」じゃないのだ。道を聞いたり、宿があるかどうか、それがいくらかといった、旅行者用フランス語入門編第一部第一課程度のフランス語力だから、とても会話など成り立たない。私が話しかけないからか、おばあちゃんも黙ったままだ。
 それからしばらくして、おばあちゃんは立ち上がり、私の肩をポンとたたき、祠の方に行くように促した。参拝しなさいという意図だろう。参拝して、お賽銭を上げるのだろうか。参拝はどうやってするのだろう。参拝の仕方を自ら示してくれるのかと思ったが、ただ私の脇に立っているだけだ。宗教に無知な私は、適当に手を合わせ、祠の外に出た。賽銭箱は見つからなかった。少しは払ってもいいと思っていたのだが・・・。
 木陰の椅子に戻って、また演奏を聴いていると、おばあちゃんがやってきて、ピンク色のビニール袋を私に手渡した。重い。持った感じで、缶入りの飲み物と、クラッカーかクッキーのような軽い菓子だろうと想像がついた。参拝するとお土産がもらえるなんて、祭りの日の子供みたいだ。参拝の仕組みがわからない。
 袋に入っていたコカコーラは、宿の冷蔵庫で冷やしてから飲んだ。一緒に入っていたのは、クッキーだった。赤い缶のコカコーラをじっと見てしまった。ベトナム製だ。これは、私の世代には感慨深いものがある。
 ベトナム戦争が激化していた時代は、私の高校生時代と重なる。「ソンミ村虐殺事件」、「テト攻勢」、「ホー・チ・ミン死亡」、「ベトナム反戦運動」といった事件と高校生時代が重なる。政治少年でなくても、左翼高校生でなくても、社会の動きに関心のある若者なら、当時の常識としてこうした時事用語は当然知っていた。あのころ、級友がこんなことを冗談交じりに言ったことがある。
 「アメリカ軍のベトナム攻撃に反対するなら、コーラを飲むな。飲めば、そのカネが戦費になる」
 コーラ、とりわけコカコーラはアメリカ帝国主義の象徴だと認識されていた時代を、私は生きてきた。私は元々コーラなど炭酸飲料はあまり好きではないから、今も昔もめったに飲まないが、アメリカ文化の保守本流に対する反感は、あの時代、たしかにあった。
 だから、ハノイで飲むコカコーラの缶を眺め、ベトナム製であることを確かめて、サイゴンではなく、元北ベトナムベトナム民主共和国)の首都ハノイでコカコーラを飲むということに、旧世代はある種のほろ苦さを感じるのである。
2015年は、1975年のベトナム戦争終了からちょうど40年。ベトナム戦争終了のニュースは、アメリカ人と南ベトナム政府関係者などのサイゴン脱出シーンとして、私の記憶に残っている。あのころ、アジアの本といえば、ベトナムと韓国が中心だった。