1095話 イタリアの散歩者 第51話

 E.U.R(エウル)に行ってみた 前編


 ローマ市の南、もう少し下ると、もうローマ市ではなくなるぎりぎりの地域にE.U.Rがある。これでエウルと読む。1942年に開催予定だったローマ万博(Esposizione Universale di Roma)の会場予定地を今も万博の頭文字をとってE.U.R.という。ムッソリーニが考えた国家の威光の夢の跡である。現在は官庁や役所がパラパラとあり、地下鉄駅周辺だけは人が多いが、「閑散」という語がよく似合う地域だ。


 E.U.R.を歩く人の姿はほとんどない。

 『地球の歩き方 ローマ2017~2018年版』を見ると、博物館が5館あるようなので、地下鉄に乗って出かけることにした。地下鉄駅に近い順に、次のような博物館があるらしい。
 郵便・電話博物館、ピゴリーニ先史・民俗史博物館、中世博物館、ローマ文明博物館、民衆芸術・伝統博物館
 地下鉄駅から地上に出るとすぐ近くに大きな郵便局があるのだが、郵便・電話博物館の姿は見えない。ローマのパスタ博物館は「改装のため閉館。開館予定時期未定」ということはすでに調べがついている。バルセロナマドリッドと続いて、「私が行く博物館はすでに閉館」という悪しき慣例がまだ続いているのか。エウルのローマ文明博物館はほかの博物館職員から、「閉鎖中、開館時期は未定です」という説明を受けた。ああ。5館中2館が閉館していたが、残り3館はどうだろう。ローマの中心部には私好みの博物館は1館もないが(その話は、いずれ書く)、さてここはどうか。3館共通入場券が8ユーロは安いが、問題はお役所仕事だ。入場券は1館でしか売らないから、他の博物館に先に行くと、「まず、あそこで入場券を買ってきてください」といわれて、テクテク別の博物館に歩いて行くことになる。事務の省力化で、客が犠牲になる。
 最初に行ったのは、ガイドブックで「ピゴリーニ先史・民俗史博物館」と紹介しているものだ。正式なイタリア語名はMuseo Nazionale Preistorico Etonografico Luigi Pigorini”だから、国立ルイジ・ピゴリーニ考古学-・民族学博物館とでもしておくか。
 http://www.pigorini.beniculturali.it/
 ルイジ・ピゴリーニ(1842~1925)はイタリアの考古学者で、ここは彼の名前を冠した博物館だ。「地球の歩き方」や一部のネット情報では「民俗学」となっているが、「民族学」が正しい。ここはその名の通り、考古学資料とアフリカや中南米、太平洋地域先住民の民具や武具を展示しているのだが、わびしい。客がいないから、省エネで、展示室に人が入ると照明がつくというシステムがあるのだが、真っ暗闇の部屋に入っていくのは気分が重い。しかも、電灯がつかないままの展示ブースもあって、よりわびしい。見慣れたものが多いので、特に見るべき物はない。
 となりの中世博物館は、絢爛豪華な衣装絵巻という展示だろう思い、本来なら入らないのだが、すでに3館共通入場券を買わされたのだから、仕方なく見ることにしたのだが、予想に反してよかった。
 展示品は、色ガラスの酒杯など趣味のいい小物がいくつかある。小さいので、個人博物館かもしれないと思いつつ奥に進むと、モザイクの部屋があった。ライオンなどのモザイクは紀元前4世紀の制作という説明がインターネットにあり、それじゃ中世じゃないだろうと思い、調べたくなった。
 この博物館は、イタリア語ではMuseo Nazionale dell’Alto Medioeveというので、なぜ高い(alto)のか気になって調べてみると、Alto Medioeveは直訳では「高い中世」だが、「中世前期」をさす。Pieno(満ちた)がつくと「中世中期」、Tarde(遅い)がつくと、「中世後期」というようなイタリア史入門編第1課の勉強しながらだから、この数行を書くのにも、えらく時間がかかる。それにしても、紀元前4世紀では、中世前期でさえないのだから、よくわからない博物館ではある。


 こういうガラス器の青は、ちょっと好きだ。


 奥にモザイクの部屋があり、


 床も壁もモザイクが再現されていて、


 このライオンは、なかなか迫力がある。