1099話 イタリアの散歩者 第55話

 イタリア映画 その1

 ローマ地下鉄路線図を眺めていたら、”Cinecitta”という駅名が目に入った。世界の映画に多少なりとも興味のある人には、チネチッタは過去の栄光のことばだ。イタリア語で「映画の都」の意味で、イタリア映画の名作を生みだした撮影所だ。その名を冠した駅があることを知った。ということは、チネチッタがまだあるということか。テルミニ駅構内の観光案内所で確認すると、「映画博物館というようなものはないが、内部の見学は可能です」ということだったので、さっそく行ってみることにした。地図を見るとローマのかなり南だ。ガイドブックに出ている「ローマ全体図」からは大きく外れる。地下鉄A線で行くと、終点のひとつ手前だ。
 チネチッタ駅の改札を出て階段を上がると、目の前にチネチッタがあった。テレビのドキュメント番組で見たのだろうか、チネチッタの正面の姿に記憶がある。その正面入り口が、駅を出たらすぐ目の前にある。1937年設立の撮影所だから、撮影所に合わせて駅ができたことは明らかだ。

 入場券販売窓口がある。入場料10ユーロ。9時半の入場で、私が最初の客らしい。追加料金を支払えば、説明付きのツアーがあるというが、その時間まで待つ気はないので、個人で動くことにした。ここに2時間いたが、入場者はせいぜい10人だろう。
撮影所は、テレビドラマやCMのスタジオとしては生き残っている。最近では、「テルマエ・ロマエ」の撮影も、一部はここでやったらしい。
 観光案内所では、「博物館のようなものはない」という説明だったが、小規模ながらあった。入場券売り場で最初に見るように言われたのは、このチネチッタの歴史資料室だ。イタリア映画の再興と映画で政権を支えるとともに、アメリカ映画の輸入金額節約も目指して、ファシスト政権の主導でこの映画撮影所が開設された。1937年のことだ。その後、映画館や映画学校なども建設されて、映画の都市、チネチッタが誕生した。
 イタリア現代史と映画産業の関連を示す重要な展示だろうが、基礎知識がない私には、古い写真が貼ってある部屋でしかない。帰国後にちょっと学んだが、イタリアでは、戦前の日本政府や軍部と映画産業の関係とはかなり違う。調べるとおもしろそうで、深入りしそうだが今回は掘り下げない。深入りしたい人は、自分で調べてほしい。資料はいくらでもある。
 次の建物は、イタリア映画史の館だ。いくつもの映画を写真と、数本は短いビデオで紹介している。
 私は映画ファンを公言できるほど映画を見てきたわけではないし、ましてやイタリア映画ファンであったことなどないが、考えてみれば、1950年代から60年代のイタリア映画は割合見ている。見ている映画を、ちょっと書き出してみようか。いわゆるマカロニ・ウエスタンは、数が多いので割愛する。
1940年代 自転車泥棒 /苦い米       
1950年代 道/ 鉄道員
1960年代 甘い生活/太陽はひとりぼっち/ブーベの恋人/81/2/サテリコン/欲望/昨日・今日・明日/山猫/アポロンの地獄・世界残酷物語黄金の七人/アルジェの戦い/ひまわり/異邦人。多分、まだまだあると思う
 1940〜50年代の映画はもちろん同時代には見ていないが、60年代の映画は70年代初めまでには見ている。繰り返し言うが、私が映画ファンだったわけではなく、イタリア映画ファンだったわけではなく、日本の映画事情が「そういう時代だった」というのが正しい説明だろう。あの当時は、イタリア映画が高く評価されていて、大きな映画館でも上映されていた。テレビでも放送していた。
 この文章を書いている今、ローマ郊外に映画のテーマパーク「チネチッタ・ワールド」というものができていると知った。2014年のオープンだ。ローマにいるときに知ったとしても、多分行かないと思うような施設だ。
 https://www.cinecittaworld.it/