1390話 「応答せよ」と韓国現代史 その8

 バナナと韓国人

 

 韓国ドラマ「応答せよ 1988」のなかで、バナナはいくつものシーンに登場する。

キム・ソヌの一家は、母と妹との3人暮らし。数年前に父が死に、その遺族年金月額30万ウォンで暮らしている。30万ウォンは、当時の大卒初任給くらいの金額だ。

 高校生のソヌがけがをして自宅にいる。母は息子のために、何かおいしいものを食べさせてやろうと思い、近所の食料品店に行く。店頭でバナナを売っている。真っ黒になったバナナが3本で2000ウォン。悩んだ末、母はバナナウユ(バナナ牛乳)を買って帰る。後日、バナナを1本買って、家族3人で分けて食べる。

 近所の幼馴染で、天才棋士テクは、賞品としてもらった果物詰め合わせをばらし、バナナやオレンジを近所におすそ分けする。「おお、バナナだ」と喜ばれる。

 1988年当時、バナナがまだ高額だったらしいが、どの程度の高額なのだろう。

 ドラマのなかの物価をメモすると、高校生が下校時に立ち寄る粉食店(軽食店、ブラジル・トッポギという店名)で、小皿のトッポギ(うるち米の餅)やラーメン(当時のラーメンは、インスタントラーメンのことでラミョンと呼ぶ)は300ウォン。屋台でうどん1杯700ウォン。「タバコが300から600に値上がりした」というセリフがある。

 『おいしい・ソウル』を見ると、お好み焼きのようなピンデトックやジョンの話が出てくる。ジョンは、のちにプサンあたりの方言の「チジミ」として日本で広まる料理だ。1988年当時、この本の食堂紹介記事で、「1品が1000~2000ウォン」とある。サムゲタンは3000~4000ウォン。ビビムパプが2500ウォンの食堂も紹介されている。

 1988年当時、1000ウォンは175円なので、「黒くなったバナナ3本」の2000ウォンは350円になる。この当時、日本ではバナナはいくらだったのか調べてみると、品種の違いはあるが、1キロ232円という記録がある。1キロで6~7本あるから、3本で120円ほどだ。

 日本でバナナがもっとも高額だったのは、ネット情報では1965年だそうだが、ほかの物価を考えれば、それ以前の方がもっと高かったという記憶がある。つまり、価格の高さではなく、「高額感」という点では戦後では1950年代の方がもっと「高い」という感じだった。日本では1960年代なかば以降安くなってきたのだが、韓国でも同様らしい。

「韓国 バナナ」で検索していたら、意外な人の名前がヒットした。バナナやエビに関する本を書いてきた村井吉敬(1943~2013)は、晩年に韓国を研究してようで、そこで韓国とバナナの話に言及している。村井を取り上げた韓国ハンギョレ新聞土曜版(2014、3,15)にこうある。

 「30 代後半以上であれば、誰でも覚えている事実だろうが、一時、韓国人にとってバナナは誕生日でなければさわることのできない高級な果物だった。1977 年4月 21 日付「毎日経済(韓国紙)」に掲載された春の果物相場を見ると、16 本のバナナ一房の価格はなんと 5500 ウォン(1本当たり 343 ウォン)であったことが確認できる。当時、ジャージャー麺1杯が 200 ウォンだったので、バナナ1本がジャージャー麺より高価だった計算になる。1980 年代中ば以降、東南アジアのバナナに対する輸入規制が緩和したことで価格が急落し一般したが、韓国社会の視線は相変わらずバナナの向こうにあるフィリピンの民衆の暮らしに まで及んではいない」

https://www.keisen.ac.jp/%e3%83%8f%e3%83%b3%e3%82%ae%e3%83%a7%e3%83%ac%e6%96%b0%e8%81%9e2014%e5%b9%b43%e6%9c%8815%e6%97%a5.pdf

 つまり、1988年は、バナナがかなり安くなった時代なのだが、それでも、遺族年金で暮らす家族には気軽に買える値段ではなかったのだ。

 「応答せよ 1988」に触発されて、1980年代の物価を調べた人がいた。80年代と言っても、その10年で物価が大きく変わっているから、80年代と言っても初期と末期では物価もだいぶ違うだろう。

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