『知の旅は終わらない』(立花隆、文春新書) その 3
東大でフランス文学を専攻することとなった立花は、フランス文学に限らず、主に20世紀文学を徹底的に読み漁った。
「文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物事の見方が浅い。物事の理解が図式的になりがちなんじゃないかな。文学というのは、最初に表に見えたものが、裏返すと違うように見えてきて、もう1回裏返すとまた違って見えてくる世界でしょう」(117ページ)
そうか、私の見方、見識、人間味が浅いのは、文学を読まずに大人になったかららしい。子供のころから現在まで、東南アジア文学を読んでいた一時期を除けば、文学をほとんど読んでいない。日本や世界の名作文学も、現在のスリラー、ホラー、サスペンス、時代小説も、ことごとく遠ざけている。創刊間もない時代から読んでいた「本の雑誌」を、しばらくすると読まなくなったのは、小説中心の内容だから読み続ける興味を失ったのだ。
文学青年立花隆は、大学卒業後、文藝春秋の編集者になった。文学しか読んでいない若者に、上司が「ノンフィクションも読みなさい」とアドバイスした。ちょうど、筑摩書房の「世界ノンフィクション全集」全50巻が刊行を終えたところだったので、第1巻から次々と読み始めた。同じ時代に、『西域探検紀行 全24巻』(白水社)に夢中になっていたのが椎名誠。ある女性がこの全集を全巻持っていると知った椎名誠は、彼女と結婚すればこの全集の半分の権利は自分のものにもなると思い求婚したとエッセイにある。現夫人である。立花隆、1940年生まれ。椎名誠、1944年生まれ。1960年代後半の話である。
「あっという間にひきこまれて、一気に読み終わり、ノンフィクションというのはこんなに面白いのかと思った。それまで小説ばかり読みふけっていた自分の読書生活は何だったのだろうと深刻な反省を迫られました。文学偏愛者というのは、この世に無数に存在している価値ある書物群の大半をまったく知らない人ではないかと思った」
「いまにしてみると、文学ばかり読んでいた自分はバカだったと思いますね」
と、思想が変わる。自慢じゃないが、私は小学生時代からそんなことはわかっていたさ、エヘン。小説を読まないと決めているわけじゃなく、他人に「小説は読むな」と忠告しているわけでもなく、私は「架空」よりも「現実」が好きというだけだけどネ。
以後、立花は小説を全く読まなくなった。
サラリーマン生活で知の世界に飢えていた編集者は退職し、東大大学院で哲学を学ぶことにした。当時は、国立大学の授業料は月1000円だから、親のスネをかじらなくても大学で学べたのだ。その時間は、サラリーマン時代には読めなかった本を手当たり次第に読んでいった。こういう本を読んでいたというリストが載っている。
フランス語でベルグソン
ドイツ語でヴィトゲンシュタイン
ほかに、漢文の『荘子集解内篇補正』、そして外国語の授業で、アラビア語とペルシャ語とサンスクリットを学んでいた。
学ぶ喜びを味わう日々は、東大闘争によって授業がなくなり、やむを得ず立花は大学を去り、世間に戻りフリーライターになった。