1590話 小説家の紀行文

 

 数日前から読んでいた本を今読み終わり、神保町の古本屋の店頭ワゴンにあった江國滋の紀行文「旅券(パスポート)は俳句」シリーズの『イタリアよいとこ』(新潮社、1996)を読み始めた。この文章を書いている今、気がついたのだが、この本が出た当時は、新潮社の本の奥付けに西暦で出版年を書いていたのだなあ。いつから元号に変わったのか。その話を以前も書いたことがあるのを思い出し、このブログ内検索をしたら、2019年に書いていることがわかった。こういうコラムだ。

 

 手元の新潮選書の1冊は「1977年」の発行になっているのだが、もう一冊は「昭和58年」になっている。これは1983年だ。1970年代末から80年代初めに、新潮社に何かがあったのだ。このあたりのことをネットで調べると、「新潮社は単行本は西暦、文庫は元号」ということになっているらしい。これは、新潮社のタブー、あるいは闇だな、きっと。

 

 それはさておき、この紀行文シリーズのうち文庫になったのはどれだけあるのか知りたくなってアマゾン遊びをしてみた。『イタリアよいとこ』は文庫にはならなかったようだ。江國滋の軽い旅行記でさえ、文庫化しなかったのは、単に「売れない」と出版社が判断したからか。その辺も気にかかるのだが、まあ、それはいいとして、アマゾンでこの単行本を画面に出すと、「最後にこの商品を購入したのは2007/10/14です。」という表示が出た、私がイタリアに行ったのは2017年で、帰国後すぐに紀行文を書いたから、その資料として買ったわけではないのは明らかだ。旅行記が読みたくて買ったのだろうが、しかし、数ページ読んでも再読とは気がつかなかった。買ったが読んでいないのか、読んだが忘れてしまったのか、どちらかわからないが、本の内容を覚えていないという点では同じ事だ。まあ、近頃じゃよくあることだが、「ああ」と、2秒ほど心が折れる

 もう一度、それはさておき、今回『イタリアよいとこ』を取り上げたのは、これが古い時代の作家の旅行記だと気がついたからだ。小説家が想定するのは、主人(小説家)と従者(編集者)の旅であるドン・キホーテスタイルだ。親しい同業者が同行する場合は、丁々発止の弥次喜多道中記にする。その場合でも、小説家たちには、編集者や案内人という従者がいる。こういったスタイルは、もはや時代遅れだから、ほとんど消滅したような気がする。取材コーディネーターがいても、あたかもひとり旅したように書くか、わずかに触れるくらいだろう。こういう変化は、ほとんど海外旅行などしたことがない小説家にお世話役が必要だった時代があり、国内旅行でもひとりではなにもできないマガママ小説家がいくらでもいたということだ。ある編集者の思い出話に、小説家の旅行に同行する際、かならずお気に入りの沢庵をバッグに詰めていたというのがあった。

 『オリエント急行の旅』は、新聞記者本田靖春が友人の小説家生島治郎を誘った旅行を書いたものだが、お世話役はいなかった。動けるふたりだから実現した旅だが、この旅行記そのものはまるでおもしろくなかった。本田靖春の評伝ともいえる『拗ね者たらん 本田靖春 その人と作品』(後藤正治講談社、2018)でも、この本はほとんど無視されている。「評価に値しない」という判断だろう。それは、正しい。

村上春樹旅行記に同行者がいる例は知っているが、お世話役がいたのかどうかは知らない。単なるイメージとして、村上春樹はひとりで旅しているような気がするが、夫婦の旅行か? 

 いつも同行者を引き連れて移動しているのが、椎名誠の旅だ。お世話役ではなく同行者なのだが、私が読みたいのは、椎名誠のたったひとりの外国旅行記だ。もともと大冒険紀行など望んでいない。私が「ラジャダムヌン・キック」(『ジョン万作の逃亡』収録)が好きなのは、椎名の作品のなかでは非常に珍しいひとり旅を描いたものだからだ。完全に私費のタイ自由旅行を小説にしたものだ。私がひとり旅が好きだから、旅行記もひとり旅のものが好きだというわけだ。