NHKBS「世界のドキュメンタリー ブロードウェイ ミュージカルの街の半世紀」を見た。ブロードウェイ界隈の変遷とそこで繰り広げあられたミュージカルと演劇の戦後史をコンパクトにまとめてあり、いい出来だと思う。ブロードウェイミュージカルにほとんど興味がないのにこの番組をじっくり見たのは、私がブロードウエィ界隈の安宿に生息していたからだ。49th Street /9th Avenueの安宿は、ビルの2階にあり、1階は酒屋、隣りは男性同性愛者向けの専門映画館。宿の周りは、黒革のミニスカートをはいたお姉さんたちが立ち止まり、来客受付所の様相をていしていた。もちろん、売人も多数いたはずだ。映画「タクシードライバー」(1976年)のニューヨークだ。「サタデー・ナイト・フィーバー」は、1977年のニューヨークだ。
そういう場所だから、宿代はニューヨークにしては安かった。部屋の広さはベッドの1.5倍くらいだから、日本式に言えば三畳間か。狭いが居心地は良かった。宿代は17.5ドルだった。当時、1ドルは資料によれば230円ということになっているが、私の記憶では250円くらいだったと思う。ということは、日本円に換算すれば4300円くらいになる(当時、大阪西成なら1泊500円だ)。交通の便利な場所でしかも個室ということになると、ここより安い宿はそう多くはなかったかもしれない。YMCAはここよりも高かった。週ぎめや月ぎめの契約をすれば安くなるが、予定の定まらない取材旅行だから、前金でまとめて支払うのはまずいと思っていた。
取材の進行状況は、公衆電話を使った。交換手を通してのコレクトコール(受信者費用負担通話)だ。編集部とはあらかじめ暗号を決めていて、例えば「Mr.SATOに」といえば、特に連絡することはないという意味で、話したいことがあるときは「Mr.TANAKA」あての電話ということにする。こうすれば、電話代がタダで連絡できる。日本側の声は聞こえるので、「今、ボストンです」と怒鳴ることはできる。
書名も作者も忘れたが、アメリカの小説を読んでいたら、小銭をポケットにたっぷり入れてニューヨークを歩いている男はCIA(FBIだったか?)だという一節があり、私もいつも小銭をじゃらじゃらいわせていたことを思い出した。しょっちゅう取材の電話をしていたからだ。毎週のようにコレクトコールをかけていたことを思い出し、「ああ、そうだ」ともうひとつ思い出したのは、ジム・クロウチのOperatorだ。これが歌詞だ。あのころ、電話交換手の声をよく聞いていた。
帰国後に、70年代にニューヨークで生活したことがある人に取材旅行の話をしていたら、「電話が使えたんだから、治安はだいぶ良くなったんだな」といった。NHKで放送したドキュメント番組を見ていて、その話を思い出した。1970年代のニューヨークは犯罪多発地帯で、ブロードウェイ界隈もかなり危ない状況だったらしい。70年代後半になって、事情は少しづつ好転して、1980年代には公衆電話が使える程度の治安は戻っていたようだ。このテレビ番組によれば、かつて悪の巣窟(そうくつ)だったブロードウェイは、今ではテーマパークのようになり、ミュージカルを見に来る客の75パーセントは観光客だという。番組の映像を見ていたら本当に変わったことがわかるが、もっと見たくてグーグルマップでしばらく遊んだ。私が滞在していた安宿はもちろんないが、ビルは残っていた。周囲は小ぎれいになっている。
ニューヨークにはひと月ほどいた。ボストンから戻って、またニューヨークに1週間ほどいてシカゴに行った。シカゴの取材を終えて、「これから西に向かいます」と言おうと編集部に電話をしたら、「悪いが、別件で取材してほしいことができたので、ニューヨークに戻ってほしい」と電話の声は言っている。「もう2度と来ないかもしれない」と思って出たニューヨークに、また戻れるのがうれしかった。グレイハウンドバスでマンハッタンに入って行くたびに、うれしくて興奮する。
その後、残念ながらその後1度もニューヨークには行っていない。物価は恐ろしいことになり、私ごとき貧乏人が自費で滞在できる街ではなくなくなったようだ。
「ニューヨークと並んで、サンフランシスコも好きなんだよね。久しぶりに行こうかな」と旅先で出会たアメリカ人に話すと、「サンフランシスコ? 高いよ。ニューヨークよりも高いよ」と、見るからに貧乏人そのものの私に同情して「覚悟のほどを」とアドバイスしてくれた。アメリカ労働統計局の報告では、平均時給は31.85ドルだから、4000円ほどだ。ニューヨーク州のファーストフード店従業員の最低賃金は15ドルだから、2000円弱か。しかし、その時給では、人は集まらないらしい。レストランの旧称ウエイター&ウエイトレス(今はfood serverが「政治的に正しい」らしい)なら、チップも入るので、時給計算で25~30ドルかそれ以上になるらしい。30ドルなら、1ドル135円として4000円ほどになり、上記平均時給に近くなる。「貧しい日本からアメリカに出稼ぎに行くか」という1960年代以前の日米関係に戻るのか。