1857話 現場作業の夏と冬 その1

 

 工事現場で働くのは好きだった。それが大きなビルや高速道路などだったら、すぐに逃げ出したと思うが、小規模な工務店の小さな現場だったから、毎日楽しく過ごせた。

 そもそもは、高校の卒業式の日だった。年が明けた高校3年生というのは、進学などの準備で学校に来ない生徒が多く、ばらばらのまま1月2月を過ごし、卒業式に久々の再会となる。

 級友で、私と同じように「いつか外国に行きたい」と思っているヤツと会って、「今まで、何してたの?」と聞いたら、「渡航費用を稼いでいるよ」と言った。ゴルフ場でアルバイトをしていたら、客の会社社長と知り合い、それとなくアルバイトの事情を話すと、「ウチの方が稼げるぞ」と言われて転職し、工事現場で働いてると言った。

 私は「外国に行きたい」と思っているだけで、まだ具体的な準備をなにひとつしていない状態だったので、「オレも、そこで働けるかな?」と聞くと、「たぶん、大丈夫だと思うけど、明日の朝早く、事務所に来てみれば? うまくいけば、明日から働けるかも」。

 そして、翌朝早く、友人と駅で待ち合わせ、高校からそれほど離れていない事務所に行き、その社長に事情を話すと、「そうか、わかった。今日から働けるか?」といって、採用が決定された。採用と言ってももちろん正社員ではなく、日給で稼ぐアルバイトである。

 1971年ごろの土建業の標準かどうか知らないが、そのころは、毎月15日と月末が休日で、その前日が給料日だった。ひと月に休みが2日というのは少ないようだが、職人は稼ぎたがった。雨の日は仕事にならないから休みということもあり、そういうバランスで休日が決まっていた。その年の夏には、毎週日曜日が休みになった。土建業組合の申し合わせがあったのかもしれない。

 この工務店の仕事を紹介してくれた級友は、4日間いっしょに仕事をしただけで、やめてしまった。かねてから目をつけていた女の子がデートの申し込みを受け入れてくれて、「もう、毎日がデートだぜ。カネはあるし」というわけだった。

 女の子と仲良くなりたくて、デパートなどでアルバイトをしている級友の噂話が耳に入ったが、ネクタイを締め、売り場で接客することにうらやましさはなかった。男だけの工事現場で汗を流している方がすっと楽しい。

 「オレたちの仕事は、『ひとり仕事』はできないことが多いんだよ」と職人頭が言った。「高いところで作業しているとする。次の作業のために、道具や材料がいるからといって、いちいち脚立を下りて、また登るということとをやっていたら、手間と時間がかかってしょうがない。言われたとおりに、下から上に材料や道具を渡してくれるだけで、作業がはかどる」。だから、私のようなド素人でも、現場ではそれなりに価値はあるのだ。

 朝8時には作業を始めるという慣例になっているから、作業内容によっては7時45分とか7時半には現場に着いている。材料が必要な場合は、資材販売店に寄ってから現場に行くこともある。だから、資材や道具を扱う店は、7時にはもう営業をしている。我々も7時ごろには事務所に集合ということになっていた。現場に着くと、その日同じ現場で仕事をする他の業者、例えば、大工や鉄筋屋、電気屋などと仕事の簡単な打ち合わせをしてから仕事を始める。みんなプロで、顔なじみだから、何か事故事件でもない限り、挨拶が打ち合わせのようなものだ。

 朝7時過ぎに、事務所の隣りにある倉庫から、その日に必要な道具類を取り出してトラックに積んでいると、道路の脇を歩いている男女ふたりが見えた。高校の2年先輩で、友人が属していたそれぞれ別のクラブの上級生で、ほんの少し言葉を交わしたことがある。女性の方はなかなか魅力的な人で、「憧れのセンパイ」というほどではないが、好印象だった。それぞれ別のクラブの属していた人だが、交際しているという噂は知らなかった。これが昼間や夜なら特に何も感じないが、朝7時の「後朝(きぬぎぬ)の別れ」のようで、高校を卒業したばかりの紅顔の土木作業員には刺激が強かったから、トラックの運転席で顔を隠した。