1866話 体調不良

 

 長い間、「体調不良」というのがどういうものか、まったくわからなかった。風邪をひいて熱があるとか、扁桃腺がはれてノドが痛いということはあっても、「体調不良」というものがどういうものかわからなかった。体の具合が悪くても、翌日か翌々日には回復していた。

 体の調子が数日悪いということは何度かあり、「熱はないのに体がひどくだるい」と気がついて数日後に、心筋梗塞で入院した。

 ところが、である。

 長期間の「体調不良」の経験がなかったのだが、20年近く前に、それが来た。年明けから体が重かった。何もやる気がしない。動くのも嫌だ。買い物など、日常最低限のことはするが、それ以上何もする気がなくなった。4月からは大学の授業が始まるから、体がこのままなら、大学に知らせて代理の講師を立ててもらわないといけない。連絡を入れるなら早い方がいいのだが、あと2週間では間に合わないだろう。

 病気のことを考えていると気が重くなり、もしかすると重態ではないかと心配になり、もしかするともう手遅れかもしれない。自分には、「もう来年はないのかもしれない」などと考え始めるとますます落ち込んだ。この事態をすぐさま何とかしようと、行きつけの病院の夜間外来に出かけた。幸運にも、その夜の当直が、前年に心筋梗塞で入院した時からのかかりつけ医で、その後も2か月に一度診察を受けている担当医だ。すぐさま検査と診察をしてくれたのだが、「とくに悪いところはないので、しばらく経過を見ましょう」ということだった。

 誤解のないようにもう一度言っておくが、現在の話ではなく、20年近く前の話だ。

 4月になった。授業をしなければいけない。大学にたどり着けるか不安だった。こわごわ家を出て、なんとか大学までたどり着いたが、いつものように立って授業をする体力はなく、座ったまま授業をした。

 翌週の授業は、まるでなにもなかったかのように、いつもの元気を取り戻し、以後「体調不良」とは縁が切れた。あれは、何だったのか。原因はわからないが、「もしかして・・・」と想像できる原因がある。

 その年が明けると、我が家の外壁工事が始まった。1度塗ると、完全に乾くまで時間がかかり、それに加えて作業員の手配の問題もあり、数週間に1度の工事が3回か4回続いた。念のために、ベランダの防水工事もやった。工事中、我が家全体が透明ビニールシートで覆われていた。

 多分、ハウスシック症候群ではないか。確証など何もないが、塗料にやられたのではないか。1月から始まった外壁工事は3月末に終わり、4月の2回目の授業のときは体調が回復したから、工事と体調の関係は説明がつくが、もちろん科学的証明はできない。

 私は、ニオイに弱いのだ。化粧品、芳香剤の類が苦手だ。洗濯洗剤はまだ我慢ができるが、柔軟剤が苦手だ。デパート1階の化粧品売り場は足早に通り過ぎる。できることなら、呼吸を止めていたいと思う。日本中からデパートが撤退しているのは、僥倖である。  夕方まで、まだちょっと時間があるという時刻の電車内で異臭を感じたことがある。駅から乗り込んできた女の香水の類の異臭がすさまじいのだ。その姿から、「美容院に寄ってから、お店に」というストーリーが想像できる。幸運にも、その手の女性とエレベーターで乗り合わせたことはないが、もしそういう拷問にあったら、すぐに途中で降りる。芸能人が、そういう人とエレベーターで一緒になって、苦しかったという話をラジオでしていた。その「犯人」の名隠していたが、話の流れでデヴィ夫人かIKKOのどちらからしい。

 食べ物では、ゆず、ショウガ、ニンニク、シソ、ネギは好きだが、パクチーをはじめとするタイのハーブ類が苦手だ。我慢ができない。無理して口に入れることもしたくない。食卓から消し去りたい。地球から消えてほしいくらいだ。それなのに変なのは、チーズはとびきり臭いのが好きだから、日本製に多い無臭のチーズは物足りない。でも、クサヤは嫌いだから、私の「クサイ」の実態は、自分でもよくわからない。