かつて観文研(日本観光文化研究所)という組織があった。近畿日本ツーリストが1966年に設立した機関で、所長は民俗学者の宮本常一。その宮本は81年に亡くなり、研究所も89年に閉所した。
『宮本常一の旅学 観文研の旅人たち』(福田晴子、八坂書房、2022)という本を知ったとき、宮本常一と観文研の関係者について書いた本なんだろうと思って注文したのだが、届いた本は私の想像とは違った。誤解した私が悪いのだが、この本は、「宮本常一が旅をどう考えていたか」であり、その宮本のもとに集まってきた若者たちがどのように宮本に鍛えられたのかという教育論だった。
観文研という組織は、活字の世界ではよく知っているが、組織そのものと深くかかわったことはない。この本の冒頭に、「主な登場人物」として、25人の名と簡単な紹介リストがある。その25人のなかで、名前を知っていて著作も読んだことがあるという人が半分の13人いる。会って話をしたことがある人が、8人いる。食文化研究会でよく会っていた神崎宣武さんが観文研関係者だということは知っていて、宮本常一の話をしたことがあるが、同じ食文化研究会でよく顔を合わせていた愛知大学教授の印南敏秀さんが民俗学者だということはもちろん知っていたが、観文研関係者だとはこの本を読むまで知らなかった。1980年前後に何回か会っていた森本孝さんが、2022年2月に亡くなったとこの本で知った。
「旅が学びだ」といった宮本の考えは、この本の著者が作っているサイト「旅学喫茶晴天堂」に詳しくあるから、興味のある方はそちらをどうぞ。
観文研にはふたつの柱があった。ひとつは、宮本の流れを受け継ぐ民俗学研究の旅を志向するグループだ。もうひとつの柱は、宮本常一の長男宮本千春が大学探検部の出身だということから、探検や冒険を志向する若者たちのグループだ。このグループの若者たちが、のちに「地平線会議」を作る。
私は旅情報の近くに身を置いておきたいとは思っていたが、観文研に近づくことはなかった。民俗学というものに、いまでも関心が弱い。例えば「農耕儀礼」とか「通過儀礼」といったテーマの研究でも、どこかの村の儀礼を調べればそれで終わるのが民俗学だが、私の興味は外国ではどうなのかといった比較文化だから、文化人類学に近い。竹細工研究ならば、外国の編み方は日本と同じか違うのか、その歴史的伝播を知りたくなる。
探検冒険にも興味がなかった。私は人が生活していない土地に興味はないし、大きな街の文化に興味があるから、秘境探検や辺境の縦断や横断などに、まったく興味がないのは今も同じだ。
だから、その名はよく知っているものの、実情をまったく知らない観文研の歩みをこの際知りたいと思ってこの本を買ったのだが、そういう内容の本ではなかった。
著者は「旅は学ぶ場だ」といった宮本の考えに共鳴しているようで、それはそれでいいのだが、私はまったく違う。この本のいい読者にならなかったのは、そういう考えの違いによるものからかもしれない。