NHKのドラマ「ガラパゴス」を見た。ミステリーって、こういういい加減な構成がファンにはたまらなくうれしいのだろうが、ノンフィクション好みの私にはつらかった。
体を壊した刑事田川は閑職を与えられた。過去の事件事故の身元不明者の再調査だ。資料保管箱からたまたま見つけたのは、団地で練炭自殺したとされる身元不明の青年の資料だ。事件写真を見た田川は、「これは自殺じゃない。青酸物による死で、刑事なら、そんなことはすぐにわかるのに・・・・」と、疑問を抱く。七輪は偽装だと簡単に見抜く。現場をちゃんと検証すれば、自殺ではなく他殺の可能性が高いことはすぐにわかるはずだ。それなのに、なぜ警察は自殺と判断したのか。私は警察がからむ犯罪なのかと想像した。これから、警察内部の闇が暴かれるのだろうかと、ドラマの筋書きを想像したのだが、ドラマは意外な方向に進む。
事件の解明が、「おいおい」なのだ。現場付近で大量殺人事件が発生したため、警察官が総動員されたその日に、団地で死体が発見されたから、刑事事件や死体に慣れていない警察官が何も考えずに、「自殺」と判断したのだというのだ。殺人を実行したグループは、そういう混乱の時なら、偽装殺人は簡単には見破られないだろうと判断して、犯行に及んだというのだが、団地の殺人と大量殺人事件は関係ない。
この「謎解き」をきちんと考察してみよう。大量殺人事件が起これば、警察はそれにかかりっきりになるから、団地の殺人は見破れないと判断したという筋で、ドラマは進んでいく。だが、考えてみよ。大量殺人事件が起こって、その混乱を利用するためにすぐさま偽装殺人を計画し実行する組織って、あまりにご都合主義じゃないか。だって、大量殺人事件がいつどこで発生するかなんて誰にもわからないのだから、ある組織が、その混乱を利用してたちまち偽装工作をするなんてできないのだ。
小説であれドラマであれ、こういう「謎解きもの」というのは、ご都合主義の、非現実的なストーリー展開ばかりじゃないか。いや、バカらしいのでほとんど見ていないから、「そんなのばかり」と断定はできないが、例えば団体旅行中に殺人事件が起こるが、旅はそのまま続き、第2の殺人事件が起こるといったもの。秘密の書類がたまたま机の上にある。廊下で、極秘の話をたまたま立ち聞きする。「たまたま」、「偶然にも」が多すぎないか。多すぎると思うのが、この手の小説が嫌いな私の感想だが、ミステリーファンは、「小説なんだから、ドラマなんだから、論理性とか整合性なんか、関係ない。おもしろければいいんだから」という態度なんでしょうね。
このドラマの感想を書き込むサイトがあったが、誰ひとり展開の不自然さを指摘していない。ドラマなんだから、つじつまなんかどうでもいいんだよということらしい。
タイムスリップ・ドラマや特殊能力者が活躍するドラマを「非現実的」だと否定する気はない。万能の医者の話なんてつまらんとは思うが、それはそれで、そういう設定なのだから問題はない。私がいいたいのは、ウソはうまくつけということだ。「偶然にも」としてしまえばなんでも可能という展開を、安易に使うなということだ。
ミステリーではなくても、ドラマの非現実性が気になっている。例えば、医者ドラマや弁護士ドラマで、見事手術の成功とか無罪獲得というハッピーエンドになることがほとんどなのだが、入院費や弁護士費用の問題が明らかにされた例を知らない。カネの話が出てこないことで、医者や弁護士が聖人君子のように描いている。ドクターXでは、医者が手術代を受けとるシーンがいつも出てくるが、患者側がいくら支払ったのかは明らかにしないままだ。
ドラマファンという人たちは、そういうことをまったく気にしないのでしょうね、「お話」なんだから。でも、うまいウソをついてくれよ。