現在、インドネシアの島々が連なる地域にあるチモール島は、オランダとポルトガルが領有を争って戦争をしていた。戦いに疲れた両国は、「もう、この辺で、それぞれ半分づつということで、手を打ちましょうや」となった。両国の勝手な取り決めで、西はオランダ領、東はポルトガル領にしてしまった。オランダ領の部分は、第二次大戦後インドネシアの一部として独立したが、ポルトガル領の部分はそのままだった。ポルトガルの独裁政権は手放さなかったのだ。1974年のポルトガルの政変により植民地堅持の姿勢が崩れると、インドネシア軍が入ってきて、今度はインドネシアの占領下となった。以後も複雑な推移があったが、2002年にインドネシアから独立して、東チモール民主共和国となった。
さて、この国の公用語・共通語をどうするという話だ。
東チモールには数十の言語が存在するという。家族・近所での日常的な会話は、それぞれの地域の言語で交わされている。
首都ディリ周辺で使われている共通語がテトゥン語だが、語彙が少なく、方言があり全国土で通じるわけではない。
ポルトガル語は、元宗主国の言葉だ。ポルトガルの手を離れてインドネシア政府に占領されたとき、独立運動の指導者たちはポルトガルに亡命し、そこで教育を受けた。政府首脳の一部はポルトガル語が堪能だが、住民のほとんどはポルトガル語はわからない。この地を植民地にしたポルトガルへの反感もあり、そういう人たちはポルトガル語の公用語化には反対している。
1975年以降、インドネシアの支配下にあったので、教育も含めて、インドネシア語で行なわれた。ほかの地域の住民たちとも、インドネシア語なら通じ合える。インドネシア語の教科書も辞書もあるのだが、インドネシア支配下で軍による暴力虐殺などを受けてきたので、インドネシア語は使いたくないという感情がある。
英語がわかる人は多くないが、これからの国際関係を考えると、英語を公用語・共通語にするほうがいいと考える人たちがいる。どの言語を公用語に採用しても、学校で英語教育をやるのだから、英語を公用語にすべきだと考えている人たちがいる。教科書はいくらでもある。
さて、どの言語を公用語にするか。
テトゥン語は正書法や文法などまだ定まっていない。技術書や学術書もない。専門用語をポルトガル語から借り入れるなら、ポルトガル語をそのまま学んだ方がいいということになる。
ポルトガルは、東ティモールのポルトガル語教育に多大な支援をすると宣言していたが、ポルトガルは経済事情が悪化し、2010年頃から赤字国になった。
結果的には、テトゥン語とポルトガル語が公用語になり、ポルトガル語教育を行っているが、そうなると、高等教育はポルトガルかブラジルに行くしかなく、問題は数多い。
大学の授業で、このような話をして、「公用語として最適な言語はなんだと考えますか?」という授業をやった。学生の反応は、いつものように、ない。
★日本人をほぼ例外として、世界の人々は好き嫌いではなく、必要に応じてさまざまな言語を学ぶことになる。そこで、次のエピソードを書いておく。『道半ば』(陳舜臣、集英社、2003)に、台湾が民主化して、著者が40年ぶりに台湾に帰郷して、李登輝と会った。李総統が著者に最初に発した言葉がこれだった。
「さあ、何語で話しましょうか? 国語(北京語)、閩南語(いわゆる台湾語)、それとも客家語(客家のことば、李氏のマザータング)。英語でも日本語でも?」
この問いかけを何語でしゃべったのかは書いてないが、ふたりは日本語で話しをすることにした。ふたりの台湾人にとって、それがもっとも使いやすい言葉だった。