1917話 デジタル機器と旅 その1

 

 個人旅行にスマホは必需品になっているということは気がついていた。

 コロナ直前の旅でも、スマホを持っていないと旅先でエラク苦労することはわかっていたので、「帰国したらスマホを買うか」と覚悟し、楽天ソフトバンクかなどと情報を集めていたら、コロナ禍になり、我がスマホ計画は中断した。あんなカネがかかるものを日本で持っていても意味がないので、現在も持っていない。ついでに言えば、マイナンバーカードも電子マネーも持っていない。

 スマホと旅行といえば、いつも思い出す光景がある。バルセロナのちょっと高そうなその料理店は、大きなガラスで歩道と店内を隔てている。歩道を散歩していた私は、店内で食事をしているふたりが見えた。日本人か韓国人か台湾人かわからないが、東アジアから来た旅行者風で、20代なかばに見える男女だ。食事をしているふたりの目は、テーブルに置いたスマホを見つめ続けている。私は歩みを止めて、店内を注視した。会話はない。沈黙の食事。もしかして、ふたりには楽しい食事の時間なのかもしれないが、私には寒々とした光景に見えた。冷めた関係の二人なら、スマホがなくても無言の食事なのだろうから、スマホが悪いとは言えないが、でもなあと思って歩き出した。

 つい先日、ヨーロッパ旅行から帰国したばかりの友人がメールをくれた。「コロナ前とはだいぶ変わったよ」とメールにある。交通も宿も博物館も美術館も徹底的に予約制になっているから、メンドーくさいというのだ。そうだろうなという予想はつく。私にはますます旅をしにくい世界になっている。

 バルセロナに行ったのは2016年で、サクラダファミリア入場は、開館前に長蛇の列を作って発券を待つという状態だったが、その後すぐにネットでの予約制に変わったという情報を得た。2018年にやはりスペインのアルハンブラ宮殿に行ったのだが、開館時に「すでに完売」だと言われた。予約制になっていたのだ。「当日券は電話予約もできます。次の番号です・・・」と係員が説明を始めたが、私は電話を持っていない。私の後ろに老婦人がふたり立っていて、私と係員の会話を聞いていて、ひとりが「あたし、電話をホテルに忘れて来たわ」というと、もうひとりが「私は、もともと携帯電話を持っていないの」と言った。

 よく調べれば、アルハンブラ宮殿には有料リアと無料エリアがあって、正面ではなく脇にある門には扉がないから出入り自由だが、もちろん有料エリアには入れない。今、ネットで調べると、有料エリアの入場券は「個人で買うのは難しいので、代理店から買うか、ツアーに参加しましょう」などと書いてある。例によって、どれだけ正確かはわからないけど。高い料金を旅行社に払えというシステムは、はたして「便利な世の中」になったという証拠なのか。全体的に、旅行は団体旅行から個人旅行に移っているが、ネット時代に入って「団体旅行をしなければ不便」という旅行事情になっているようだ。

 サクラダファミリアのような世界的観光地がネット予約に限定する事情はわかるが、小さな博物館や美術館・資料館などの施設の場合はどうだ。街を散歩していて、おもしろそうな博物館を見つけたとする。今までなら窓口に行き、「1枚」といって現金を出すか、指1本を出して、カネを払えばそれで済んだ。友人のメールによれば、「入場券の発券窓口は閉鎖されていることが多い」という。それならば、博物館の入り口付近でスマホを取り出し、その博物館のHPを出し、入場希望日、人数、支払い方法などを記入し、クレジットカード情報などを入れて、「予約済み」になれば、そのスマホを博物館入り口で提示し、やっと入場可能になる。窓口で現金で買えば、10秒ですむが、スマホを使うとその地の言語がよくわかる人でも1分、日本人旅行者だと翻訳アプリなどを使うと、どれだけ時間がかかるかわからない。それが「スマート・ツーリズム」の実像である。

 そんなことを考えていると、立教大学観光学部の情報誌「RT」2号が届いた。特集は奇しくも「スマート・ツーリズム」だ。座談会「情報社会における観光の変容」は、第1部が「教員が語る」編、第2部は「学生が語る」編だ。スマート・ツーリズム(スマホを使った観光旅行)に関して、教員は懐疑的な面も指摘しているが、学生たちはほぼ全肯定のようだ。30代前半でも、初めての海外旅行からスマホを持っていただろうが、だからといって疑問や異議が出てこないのが、私には不思議だ。それは、自動車旅行に関する議論に、税金や維持費や環境問題や事故の話が一切出てこないようなものだ。

 私が講師をやっていたときの学生リポートのなかに、「スマホが使えない場所には行きません」、「スマホ依存症なので、スマホ環境が悪い場所には行く気がありません」といった記述がいくつかあった。これは「ビールがない国には行かない」とか「日本料理が食べられない場所には行かない」ということと似たようなものだ。まあ、それも、それぞれの趣味趣向主張の問題だから、他人がとやかく言う問題ではないにしろ、便利なはずのスマホが旅行者の行動を制限しているという事実はある。団体観光旅行に参加するという人には問題ないだろうが、「自由な個人旅行」を考えている若者の旅を、スマホが制限しているという現実は知っておいた方がいい。