■スポーツアナウンサーの反射神経や過去の記録を頭に入れておく記憶力は素晴らしいとは思うが、語彙不足、表現力不足はよく感じる。
夕食の準備を始めるころ、夏ならラジオはこれから始まる野球中継の紹介をしている。そうなると、ラジオはNHKの外国語講座に変えるのだが、すぐには動けないとき、どの局であれ、アナウンサーはいつも同じセリフを口にする。毎日、同じセリフだ。
「きょうは、大変重要なゲームです!」
ほかの表現を知らないのか。
■大谷翔平の活躍を伝えるニュースでは、いつも「日本人メジャーリーガーとしては・・・」という解説を加えてきたが、大谷はほかの日本人選手をライバルとして戦ってきたわけではない。そういうレベルをとっくに超えているというのに、「イチローの記録を・・・、松井の記録を・・・」と言い続けている。
■甲子園では、野球部員が死ぬまで、炎天下の試合を続けるのだろう。アナウンサーは、感動のドラマに盛り上げて伝え、日本各地の町おこし、郷土愛を鼓舞し、高校は宣伝媒体として利用し、新聞やテレビもいい商売にする。マスコミは、部員の家族や部員に死亡者がいないか調べて、涙と感動の物語のネタにする。あ~、そういうスポーツマスコミが嫌いだ。
■反対者が多いだろうとは思うが、現在の選挙制度を大選挙区制にしたらいいと思う。沖縄と九州を一緒にして1区にするか、2区に分けるかという程度の大選挙区だ。少なくとも、県境は越えた選挙区にする。そうすると、どういう利点がるかというと、国会議員が市会議員や県会議員がやる仕事を離れて、国政レベルの仕事、たとえば外交や教育、防衛や税制や社会福祉といったテーマに関わるようにする。現在は市会議員のような仕事に関わっているから、毎週地元に帰って、創立記念日や卒業式などモロモロの催しに出席して、次の選挙対策に励む。
大選挙区制は、「地元」を失くすことでもある。「地盤、看板、鞄」の地盤がなくなるから、二世議員が生まれにくい。政治の世襲制が崩れやすくなる。九州全域が選挙区になれば、選挙カーで路地まで入り込んで騒音を立てることもない。選挙運動は、テレビ・ラジオやネット中心になる。
こういう大選挙区制にすれば、共産党や公明党など組織力のある政党が強くなるのだが、まあ、それはしょうがない。ほかの政党は政策で勝負するということになる。
ついでに、二院制は維持したまま、議員定数を半分にしたい。
■窮鼠猫を噛む。軍事力で圧倒的に弱小のハマスの攻撃だ。耐えかねた、必死の反撃だ。マスコミはその攻撃は伝えるが、いままでイスラエル軍がどれほどパレスチナ人を殺してきたかという事実はあまり伝えていない。
■映画「アナログ」の宣伝がテレビで流れ続けている。宣伝文句は「僕が恋をしたのは、携帯を持たない人だった」。携帯を持たない人は、よっぽど変わった人ということなんだね。私なんか、運転免許証もマイナンバーカードも、スーツも革靴も持っていない。スマホは持っているが、使っていないが、映画にはならない。
■ブラジル音楽、とくにサンバが好きでCDをよく買っている。先日、youtubeで“samba”と検索したら、私の好みにピッタリあう音楽が流れて来た。ENTRE ELASというグループの歌だ。リードボーカルの女性のハスキーで力強い声がいい(初め見たとき、厚化粧の吉田沙保里だと思ったね)。打楽器も弦楽器カバキーニョの音もいい。こういうサンバを求めていたから、すぐさま「よし、CDを買うぞ」と思ったが、CDは売っていない。それが今や世界の常識で、「CDを!」などと思うのは、中高年の日本人しかいないようだ。
■ポルトガルのギターGuitarra portuguesaも好きだが、ブラジルのマンドリンBandolimも好きだ。のびやかで、優雅な昔の音がして、心が休まる。