ここひと月ほどの間に読んだ本の話をしようかと思うが、まずはもっとも最近の神田古本まつりの話題から。
毎年開催される神田古本まつりにはたいてい出かけているが、「収穫あり」といえるような本にであうことはなかなかない。何万冊もの本が路上で売られているが、「これはいいぞ!」とか「この本、何年も探していたんだよな」という本に出会うことは無くなった。ネット古書店で欲しい本を探すからだ。読みたいと思う特定の本を探すことはもちろんだが、あるテーマの本を探して、ネット古書店はもちろん図書館の蔵書リストにもあたる。大学の講師をやっていた時は、大学の図書館を自由に使えたから、読みたい資料が図書館にあれば、外国書であれ論文であれ読むことができた。私が本を買うのは読みたいからで、所有するだけで満足するというタチではないから、読み切れない本は買わない。おのずから、本の購入にブレーキがかかっている。
古本屋に行っても、昔ほど「これは読みたい、あれは買っておきたい」と思うような本が少なくなった。それは好奇心が狭く浅くなったからかもしれないし、現在あるテーマで本を書こうという意欲がないから、その方面の資料を買い集めるということもしていない。執筆と関係なく、「読みたい本を買う」ということになると、それほどの読書欲は無くなるものだ。
好奇心の減退とは違う理由もある。関心のあるテーマの本は、その基礎資料はすでに読んでいるから、それ以上知りたいとなると、関心の枠を広げるか、学術論文などにもあたり深く掘り下げる読書生活に入ることになるのだが、「そこまで知りたいわけじゃない」ということになれば、書店でちょっとおもしろそうな本を見つけても、「まあ、いいか」ということになる。大学で授業をしていたときは、授業のネタになりそうだと思う本はかたっぱしから買い込んだが、いまはもうその必要がないから、あまり本は買わなくなった。
さて、古本まつりだ。古本屋にやってくるのは、若き研究者を除けば、中高年男性、つまり「おっさんとじいさん」の世界なのだが、今年の古本まつりは若い女性も目につく。
「見つけたよ!」
「いいな、わたしも買いたかった本だよ」
という若い女性の会話も聞こえる。電車の中で本を読んでいるのは私ひとりという状況が当たり前の現在だから、本を買いたいという人が多いのはうれしい。
出版社が出店したワゴンに、読みたい本があった。新刊書が2割引きだ。半額ならすぐ買うが、薄くてそう安くはない本だから、さて、どうしようかと考えて、そのワゴンの前を行きつ戻りつして、結局買わなかった。
帰宅して、アマゾンで調べてみると、安くは売ってるが送料込みの価格では新本価格と変わらないのだが、そんなことはどうでもいい。アマゾンさんは、私がその本を3年前にすでに買っていることを教えてくれた。あわてて書棚に行くと、その本がさしてあり、ご丁寧に付箋がついていて、本文の記述にエンピツで訂正を書き込んでいる。ああ、神保町で買わなくてよかった。
そんなことをしていた夜、そうかスマホを買ったんだよなと思い出し(スマホを買ったが、神保町に出かかるときにバッグに入れておくのを忘れた。用件を思い出したときは、御茶ノ水駅前の公衆電話ボックスからテレフォンカードで電話した)、久しぶりにわが格安スマホの電源を入れ、アマゾンを出して「お気に入り」に入れた。これでパソコンのアマゾンに入れてある「ほしい物リスト」が外出時でも読める。そこには数十冊の本と10枚ほどのCDがリストされているから、本探しの補助になるだろう。アマゾンで買った本なら、調べればすでに買った本かどうかがすぐにわかる。