1182話 大学講師物語  その11

 講師控室 (1)

 時間帯にもよるが、講師控室には当然、講師がおおぜいいる。それぞれの分野の専門家たちばかりだから、なにかおもしろい話が聞けるかもしれないとは思うものの、みなさん授業の準備をしているので、話しかけるのはためらわれた。しかし、まったく知らないのに話しかけた人が、ひとりいる。このブログの1169話「大阪の発言」で紹介した英語の表示の反応を知りたくて、英語の教師(国籍は不明)に写真を見せた。食堂にあった”The drink become the self-service.”という英語だ。
 写真を見せたところで気がついた。この英語がおかしいということは、英語がわかれば誰でもわかる。しかし、なぜこういう英語になったのかは、「各種お飲み物はセルフサービスになります」という変な日本語の直訳だとわからないと、なぜ”become”が出てくるのか、その理由がわからない。
 その英語教師は、そこがわからなかったようなので、話題を変えた。かねてからの疑問を聞いてみた。
 話は、インドネシアスマトラ島の高原でのことだ。宿の中庭で、アメリカ人の大学院生が宿の娘の高校生に英語を教えていた。長文問題をやっているのを、私はそばで本を読みながら聞いていた。
 その長文は、インドネシアにはあまりふさわしくない内容で、なぜか飲んだくれの男の行状を綴ったものだ。
 「男は毎日何をしていますか?」
 アメリカ人の質問に、インドネシアの高校生は答えられない。
 「He・・・、はい、その続き」と、解答をうながす。
 「He・・・」
 「He drinks・・・,何を飲んでいましたか?」
 「He drinks・・・」高校生はその先が出てこない。教師は耐えられず、解答を自分で言う。
 「He drinks a lot of beers everyday」
 「?」
 私の頭に疑問符が灯った。おいおい、ビールに複数形のsがつくのかい? アメリカ人にそういうと、私が単数形と複数形の違いを理解していないと思ったらしく、「fish やsheepは単複同型で・・」という話を始めた。
 「そんなことは知っているよ。私が知りたいのは、beerに複数形のsがつくのは変じゃないかということなんだ」
 「変? そんなことないよ。beersでいい」
 「じゃ、milksとかcoffeesとも言う?」
 「いや、beersだけかなあ・・・」
 そこにイギリス人夫婦が現れたので、同じ質問をした。
 「beers? おかしくないわよ。teasも言うわよ」
 そういうやりとりが十数年前にあり、いまだ私の中では解決していない。
 この疑問を、講師控室でした。その英語講師は、
 「変じゃないよ。watersだって言う」
 「海域とか、いくつも海を表す場合じゃなくて、He drinks a lot of waters everydayとも言いますか?」
 「ええ、言いますよ」
 多分、飲み物の場合は、cupやbottleという語を使わなくても、器に入っている液体という認識があるから、何杯も(何本も)飲むという気持ちで、複数形にしたくなるということらしいが、日本の学校英語では多分間違いとされるだろう。私が中学で英語を習ったのはもう半世紀も前だから、今はちゃんと教えているのかもしれない。私が知らなかっただけかもしれないが、皆さんどうですか、知っていました?

1181話 大学講師物語  その10

 大学生の旅


 講師を始めて5年くらいの間、2005年から2010年ほどはなかなか刺激的だった。留学生が多くいたから、私が教えてもらうことも多かった。授業が終わってから、韓国語に関する雑多な疑問に答えてもらったから、毎回の授業が楽しみだった。
 5月初めになると、留学していた学生が1年ぶりに復帰してくる。留学していたので、授業の最初からは出席できませんでしたという書類も持ってくるからわかるのだが、もとより出席をとっていない授業だから、これ幸いに私が聞き手となって留学生活を話してもらう授業をしたこともある。留学ではなくても、「休学して地球一周しました」とか、「たびたび出かけています」という学生の存在がわかれば、すぐさま授業はインタビューに切り替えた。臨機応変の授業にしたいから、きっちりと決まったシラバス(授業計画)を作りたくないのだ。私から見れば、授業を受けている学生は、「みんな学生」でしかないが、学生それぞれはほとんど交流がない。高校からいっしょだからと言って、大学でも仲良しとは限らない。同じクラブにいるということでもなければ、横の関係はない。だから、私の授業を受けている学生のひとりの旅を、私は知りたかったし、ほかの学生に紹介したかった。
 2007年ころだったと思うが、まだ出席者が多い4月の授業で、「外国旅行の時に持っていきたい食べ物はあるか」という調査をしたことがある。授業中に、学生ひとりひとりに聞いて回ったのだ。インスタントラーメンとパック入り白飯という回答が多く、「特になし」というのも結構いた。印象に残っているのはそういう回答ではなく、200人ほどの学生のうち、「外国に行ったことがないのでわかりません」と答えたのは、わずかに3人だけだった。その3人も、もしかして卒業までに外国に行ったかもしれない。
 この話を他校で教えている友人たちに話すと、「立教は、お坊ちゃん、お嬢ちゃんが多いからなあ。ウチの大学だと、外国に行ったことがあるのは2割いるかなあ」などという感想がいくつか寄せられた。別の年のレポートでわかった学生の外国体験例では、確かに親が富裕層だと想像できる例もある。夏休みに英語留学でハワイに、サンフランシスコに、カナダに、という例はある。大学が関係する研修旅行やゼミ旅行の費用は、アルバイトをしながら大学に通っている学生には、自費参加は難しい。
親がハワイに別荘を持っているらしいという例もあったが、大多数は次のような外国体験だ。まず、中学と高校の修学旅行だ。今や、海外修学旅行というのは特別な存在ではない。家族そろってハワイ旅行というのも、今は特別な富裕層の旅行ではない。それに加えて、サッカーなどスポーツの海外遠征、地方自治体の友好都市交歓会出席というのもあった。
 大学生の旅というとバックバッカーのような旅を想像していたのだが、自分の旅行体験を書かせたレポートでわかったのは、修学旅行やゼミ旅行のような団体旅行と、「2泊3日ソウルの旅」ツアーに参加するOLの旅のようなものが多い。韓国短期旅行なら、個人旅行よりもツアーに参加するほうが安いのだが、韓国10日間の旅を自分で作るという学生は、極めて少ない。年によって違うだろうが、ツアーに参加せず、自分で計画を立てて旅する学生は5パーセント、多くても10パーセントくらいだろうか。「母と一緒にヨーロッパ 費用は親持ち」というのもあるだろうが、どの程度いるのかわからない。
 つまり、大学生の旅でも、外国語を話さないといけないような旅はほとんどしていないらしいということらしい。

1180話 大学講師物語  その9

 せめて英語を

 英語よりも日本語教育に力をいれるべきだと思うが、だからと言って日本人は英語を学ばなくてもいいと言っているのではない。小学校から学ぶ必要がないと言っているのだ。「小さい時から学ぶと、発音がよくなる」などとマヌケなことを言い出す人が決して少なくないが、日本人がアメリカ人のような発音ができることが、けっしてすばらしいことではない。
 日本人全員が小学校から英語を学ぶ必要はない。必要だと思う人が、必要だと思うレベルの教育を受ければいいのだ。英語学校に行かなくても、ラジオやテレビで学べる。今はインターネットでも学べる。日本に来た外国人観光客と話をしてもいい。田舎に住んでいるから英語が学べないということはない。やり方はいくらでもあるのだ。
 大阪の黒門市場や浅草のお土産物屋おばちゃんやおばあちゃんたちは、外国人客相手に結構英語をしゃべって商売をしている。話が通じれば、商売になるのだ。必要になれば、学ぶのだ。英語ができれば、商売につながり、利益になる。だから英語をしゃべり、だんだん上手になっていく。それでいいのだ。必要がなければ、高い授業料を払って英語学校に通っても身につかない。
 授業では、学生たちにこういう話をしたことがある。
 外国に出ると、日本のことを聞かれることが多い。政治や経済の話だったり、日本料理や禅やアニメやマンガの話かもしれない。日本の生活習慣のことかもしれない。あるいは、ゲストハウスなどで、日本人と見れば、クジラ(捕鯨)問題や原爆や環境問題を話題に取り上げられることがある。こういうテーマで議論ができるかどうかは、英語の問題というよりも、むしろ日ごろの学習態度だと思う。旅先でも、授業中と同じように沈黙を貫くのか。
 おそらく、もう100年以上前からだろうが、「外国語なんてできなくても、旅はできる。言葉が通じなくても、心と心は通じるものだ」といった論法があり、今もそんなことを言う人がいる。考えれば、今は昔よりももっと外国語ができなくても旅ができるようになった。移動するだけなら、外国語がほとんどできなくてもいい。
 日本語のガイドブックがある。いたる所に日本人旅行者がいる。インターネットで日本語の旅行情報が簡単に手に入る。スマホの通訳&翻訳アプリを使えば、移動するために必要な情報はかなり手に入る。だからというわけじゃないだろうが、印刷物であれネット上であれ、旅行記には風景や食べ物の写真は出てくるが、旅先での会話やガイドブックには載っていない物事の話は、少ないように思う。日本人旅行者は、日本人旅行者以外と話をしていないのか。
 ここで旅と英語の話をしているのは、日本人すべてに向けたものではない。家族でハワイ旅行をする人に言っているわけではない。観光学部の学生に対して言ったことだが、ほかの学部、ほかの大学の学生にも同じことを言いたい。せめて英語がちょっとできれば、韓国人ともエジプト人ともブラジル人とも話ができる。映画だって英語の字幕が理解の助けになることがある。旅行先の習慣やルールを教えてもらうこともできる。「知りたい」という好奇心があれば、という別の問題もあるのだが・・・。
 せめて、中卒程度の英話で会話ができれば、少しは旅が変わるよ。旅先の会話なら、中学の英文法がわかっていれば、語彙を増やすだけでほとんど用は足りる。旅先でおしゃべりになりましょう。世間話をしましょう。
 そんなことを教室で話した。これが授業の中心ではないが、こういう話をマクラとして、異文化を知るという授業に入った。

1179話 大学講師物語  その8

 人に話す、人と話す


 言語の問題を取り上げたら、日本人と英語というテーマも語らないわけにはいかない。「日本人は英語ができない」という発言はどこの国の人と比べた発言なのかはあまり明らかにされない。仮にその説が正しいとして、それではなぜ日本人は英語ができないのか。大抵は英語教育が悪いからとされるのだが、本当だろうか。もし、各種英語検定試験で好成績を取れば、初任給が3倍になるという企業や役所が次々に現れれば、英語ができる人は急増する。インドネシアやタイのように、英語ができれば観光地で大儲けできる社会なら、皆、英語を懸命に学ぶ。一言でいえば、日本では英語ができなくても生活ができるし、英語ができたところで高額の給料にはならないから、入学試験以外の目的で英語を勉強する人が少ないのだ。もしも、「すべての大学は、英検2級以上が最低限の入学資格とする」ということになれば、英語ができる人が増えるが、それがいい方法なのかどうかはわからない。小学校から英語を義務化したって無駄なのだから、その時間を、ちゃんとした日本語の、読み書き話すことの教育に使うべきだと思うのである。
 さまざまな大学の教授たちと話していると、皆口々に言うのは、「ちゃんと授業に出席する学生が多い」ということだ。「教室には来るけど、勉強しない」とか、「教師が話したことはメモするが、考えていない」といった批判も多い。
 授業中に質問や意見が発せられることはまずない。高校時代までのように、ノートをとる学生は多いらしい。「らしい」というのは、私は黒板にポイントしか書かないから、自分で考えない限り、ノートに書くことがない。だから、私の授業のことはわからないが、聞くところによれば、まじめにノートをとるか、パソコンに打ち込んでいるか、黒板を写真に撮っている学生もいるらしい。
 教師が話し、黒板に書いたことを覚え、それをテストで書けばいい成績がとれる。優等生になれる。そういうシステムで若者たちは生きてきた。ときどき学生に意見などを聞いてみるが、ちゃんとした意見が出てくることはほとんどない。意見が言えるほどの知識がない。知識がないと深く考えない。人によっては考えていないわけではないが、教室で意見を口にしてはいけない「空気」がある。だから発言しない。この現実を英語教育と重ね合わせる。
 小学校から英語教育を義務化する理由は、国際的な世界で活躍する日本人を育成することらしいのだが、話す内容が頭に入っていないと、いくら英語の勉強をしても話せないのだ。授業で発言がないのは、もちろん日本語ができないからではない。言語の問題ではなく、頭の中身の問題なのだ。そして、目立った行為はいじめの対象になるという日本の空気も、学生を無口にする。かくして、日本人は人前で意見を言わない。討論しない。波風立たぬように生きるのだ。打たれる杭にならないように生きている日本人が、英語をどんなに学んでも、堂々と討論ができるようにならない。例外は、「空気を読まない」とか「自分勝手」とか「自己主張が強い」と非難されるような人なのだ。リクルートスーツに身を包んで入社試験に臨み、入社すれば「皆さまとご一緒でけっこうです」という態度が尊ばれる日本では、いくら英語を学んでも、「国際社会で堂々と議論する」ような人間にはなかなかならないのだ。
 だから、英語の文法や発音の勉強をするよりも、日本語でいいから人前で話すこと、あるいは議論することを身につけたほうがいいのだ。日本語で語ることができれば、つたない英語で話すこともできる。語る内容が頭になければ、流暢な英語を身につけていても、何も言えない。
 英語教育関係者は、こうした根本がわかっていない。

1178話 大学講師物語  その7

 言語社会学 


 ちゃんとした日本語の文章が書けない学生が4分の1もいるから、翌年最初の授業は、30分ほど正しい日本語の書き方を説明した。しかし、その学期末のレポートでは変化はなかった。そこで、その翌年からは、学期末に学内に張り出すレポートの内容を書いた書類に、「日本語の書式を守って書くように」と書き、もちろん授業でも説明した。しかし、効果はなかった。そこで、次の年に、「日本語の書式を守らないレポートは減点する」と告げた。
 毎年最初の授業は出席者が一番多い。だから、最初の授業で、書式の解説をやる。「減点」という注意が効いたのか、日本語の書式を無視したレポートは25%から10%に減った。それから7年ほどたった今年、2018年のレポートでもまともに字下げ・改行ができない、あるいは無視した学生がやはり10%ほどいた。最初から授業に出ていなかったか、私の話をまったく聞いていなかったのだろう。
 学生の成績は、S、A、B、C、Dの5段階で、D判定というのは不可、つまり単位習得不可ということだ。レポートの減点というのは、「内容的にはAだが、書式が守られていないからBにする」ということなのだが、書式を守っていないが内容的にはよくできているという例は、いままでたった1本しかなかった。書式を守っていないレポートは、内容的にCかDだ。内容的にはやっと合格のCでも、減点してDになるというわけだ。
 授業で日本語を取り上げたことをきっかけに、ほかの言語も取り上げようと思った。日本人は言語に関する知識が弱いのだ。これは、「日本人は外国語が苦手。外国語ができない」という意味ではない。言語事情の知識がないということだ。諸悪の根源は「国語」という語だと思う。「あの人の母国語は・・・」という時の「国語」であり、「彼は5か国語を操る」というときの「国語」でもある。言語=国家、つまりひとつの国にはひとつの言葉という意識が日本人には強いのだ。日本では、日本語だけで暮らせる。日本語がわかれば、役所でもテレビでも仕事場でも、日常生活でも基本的には困らない。しかし、それは世界の常識ではないのだという授業をやってみたくなった。言語学では当たり前だが、母国語は「母語」としないと説明ができないことが多い。フィリピン南部の小島で育った人にとって、「母国語」がフィリピン語であるとは限らない。韓国系アメリカ人1世の母国語とは? といった問題を学生に投げかけた。言語を国家単位で考えないという授業をやった。
 あるいは、標準中国語(普通話)と上海語、広東語、客家語ができる人を、「4か国語を操る」と言えるのかどうか。こういう問題が出てくるから、「4言語」とすればいいのだといったことを話した。
 世界の言語事情を授業で取り上げるために、台湾やマレーシアやインドネシア東チモール、スペインやベルギーなどを調べた。講師になる前はいい加減でよかった知識も、授業で取り上げるとなると、しっかりと調べてかないといけないので、授業がない秋や冬はそういう勉強をしていた。ある国の言語事情を調べることは、その国の歴史や文化を調べることである。政治史や経済史とも深く関係する。いきなりある国の歴史を調べようとしても、あまりに漠然としてよく理解できないことが多いが、言語をテーマにすれば、ベルギーやインドネシアやスペインの近現代史がよくわかる。

1177話 大学講師物語  その6

日本語の書式


 2005年にどういう授業をやったか、記憶も記録もない。どれだけの学生が履修したかという記憶もないが、多分100人くらいだったと思う。その後、最大で300人弱くらいまで増えたこともある。2017年は240人くらい履修したが、大量にD判定(不可)の成績をつけたせいか、今年は160人くらいに減った。私は大教室が嫌いなので、出席を取らないことで出席者を減らし、学生が少なくなったところで、小教室に移動することにした。出席をとると、話を聞く気がない学生も仕方なく出席する。すると、私語、スマホ遊び、飲食、化粧、昼寝の場となる。そういう学生はいないほうが楽しく授業ができると思ったので、出席を取らないことにした。ただ、文科省の指導と世の中の趨勢は、厳しく出席をとるという方向になっているので、出席をとらない授業は少数派だろう。教室にタッチパネルを設置する自動出席記録機を導入している大学がかなりある。学生証かスマホをパネルにかざして、出席の証拠を残すのである。幸せにも、立教では導入していない。
 トラベルジャーナリズム論として、どういう授業をやろうかいろいろ考えた。
旅行ガイドブックの国際比較というのは、非常に興味深い。フランスの旅行ガイドは、中国で出版された中国語版と、イギリスで出版された英語版と、ドイツで出版されたドイツ語版と、日本語版では、どんな違いがあるのかといったことには強い興味がある。しかし、知りたいのは私で、授業をやるだけの能力が私にはない。中国語のフランスガイドを解読するなら、中国語がよく読めるのは当然だが、中国人の欲望や関心の方向といったものもわからないとガイドブックの文章が解読できない。中国語のガイドブックで紹介されているホテルや商店やレストランと、読者である中国人旅行者の好みや性癖との関係を理解していないと、ガイドブックの解読にはならない。だからガイドブックの国際比較というちゃんとした資料がないのだ。『旅行ガイドブックの民族学』といった本を読みたいなあ。
 毎回90分の授業で、旅行記や滞在記を1冊ずつ取り上げるのは、学生にとって退屈だろうなと思った。どういう授業をやればいいのだろうかと考えたが、手本にしたい授業を知らないので、適当にやることにした。
 授業の出席やレポートのことなどについては、このブログの744話から8回にわたってすでに書いている。重複する部分もあるが、授業の話をまた書いてみよう。
 1年目の授業を終えて、2年目以降の方針のひとつが決まった。「日本語を書く」だ。成績はレポートで100%決める。出席点はない。私の授業に皆勤賞はない。教室でただ座っているだけで単位がとれるというのはおかしい。小テストもない。レポートだけだ。そのレポートを初めて読んで愕然とした。まともな日本語の書式で書けない学生が四分の一、25%もいたということだ。
 書き始めの1字下げを知らない。字下げをしない学生がいると同時に、改行のたびに4字とか10字あけて書き出す者もいる。句点「。」を知らない者はいないが、読点「、」が極端に少ない者がいる。1行40字で3行読点なしというのもあった。改行するたびに1行か2行あける者もいる。まるで箇条書きである。それとは逆に、字下げなし、読点極少、改行なしで40行というのもあった。紙面は真っ黒である。
 小学校1年生から教科書の文章は読んでいるはずなのに、書くとなるとスマホ書式になってしまう。レポートに絵文字を入れてくる者があるかと危惧したが、幸いなことになかった。句読点は小学1年生で習う。それと同じ授業を、大学の3,4年生相手にやらなければいけないのが現実なのだと知った。
 留学生は日本語学校などで「きちんとした日本語」を学んでいるので、文章に問題はなかった。いや、内容のレベルでも、最初の5年ほどは留学生のレポートは毎年ベスト10以内に入っていた。日本育ちの学生と違って、異文化を知っているから強かった。

1176話 大学講師物語  その5

 時差


 大学で授業をやることになって困惑したこと、とまどったことはいくつかある。
授業中に出入りする学生が絶えないのが気になった。「こんな授業じゃ、つまらん!」と抗議の意味で退出するのかと思ったが、しばらくすると教室に戻ってくる。トイレに行ったのかと思ったが、そういう学生が多すぎる。どうやら電話をかけるために教室を出るらしい。知人の教授にそう言うと、「学生に注意したら、キョトンとしていてね、なんで注意されたのかわからないという表情だった」。教室を出て電話しているんだから、自分はマナーをきちんと守る学生なのに、なんで注意されるんだと困惑しているようだというのだ。2018年の授業では、授業の最初や途中で合計7回注意したが、途中退出する学生はなくならなかった。
 学生との時差、つまり世代差、年代差といったものも気になった。授業で「例えば・・・」と言って取り上げる話が、若者にはまったく分からないかもしれないという不安だ。2005年に私の授業を受けていた学生は、1985年ごろの生まれだから、社会の出来事などを記憶しているのは、90年代なかばあたりからということになる。今年の学生でいえば、1998年ごろの生まれである。子供がいない私には、これだけで「おいおい、勘弁してくれよな」という生年である。20世紀末の生まれだが、20世紀の記憶はない。ものごころがつき始めるのは、2000年代なかば、10年前はランドセルを背負っていた小学生だ。学生たちにとっては、昭和も明治も同じ「生まれる前の昔」の話なのだ。
 今のテレビ番組の話をすればわかるかもしれないが、10年前では知らないかもしれない。私が体験してきた「ちょっと前の話」を学生たちにどう伝えたらいいのか、考えた。その結果、年代差を意識せずに話そうと思った。同世代相手と同じように話すわけではないが、少し説明はするものの、基本的には何でも話すようにした。私が子供だった頃の教師は、生徒が生まれる前の話も堂々としていたことを思い出したからだ。私にとっては授業そのものよりも、授業中の「余談」の部分が強く記憶に残っている。
 中学時代の数学の教師は、「最後の特攻隊員だった」という体験を語った。終戦からまだ20年しかたっていない1965年、その教師はまだ40前だったかもしれない。あの時代、戦争を知らない教師はいなかった。
 国語教師は、復員列車でのことを話し出した。千葉の実家に帰るため山陽線に乗っていた。列車は少し進んで長く停まるという運行だった。駅で動かなくなった列車から外を見ると、「垂水」という駅名が見えた。今の神戸市垂水区だ。国文学を学ぶ大学生だった元軍人の頭に万葉集が浮かんだ。
 石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(志貴皇子
 戦争が終わって、これからは昔のように、文学の勉強がまたできるという喜びを垂水駅で感じたんですと、その教師は語った。私は、この歌をすでに知っていたから、教師の話の意味もよくわかったし。「石走る」が「いしはしる」ではなく、「いわばしる」で、岩の上を水が流れる描写だという教師の解説を、今も覚えている。
大学の授業もこれでいいのだと思った。若者にはわからないだろうと決めつけて話さないのではなく、もしもわからないなら自分で調べろという態度でいいと思った。子供のころ大人が話していた「空襲警報」も「灯火管制」も、「外食券食堂」も「配給」も「隣組」も、なんとなくわかった。好奇心と学習意欲があれば、調べるし、覚えている。聞く気がなければ、どんなにていねいに説明しても無駄なのだ。
 そう思ってからは、多少の解説は加えても、基本的には好き勝手に話をするようになった。そして、もうひとつ、私の話が学生にとって将来役に立つかどうかとか、学問的に重要かどうかはあまり気にしないことにした。どの学生にとっても、「将来確実に有益」と断言できる授業は、「日本語の読み書き話す訓練」くらいしかない。将来どういう生き方をするのかわかっていない学生に、いわゆる「学問的な授業」、西洋の学者の名前と理論を列挙して暗記させるような授業が「学問的」というのなら、学問的な授業はしないと決めた。