1324話 スケッチ バルト三国+ポーランド 43回

 最北地点

 

 いままで行った街の中で、もっとも北にあるのはモスクワだった。北緯55度45分だ。今回のコラムで何度か書いているように、この時のモスクワは、横浜からロンドンに行く片道ツアーに参加したときに立ち寄った都市で、モスクワに行きたくて行ったわけではない。1975年8月だったが、曇った日には厚手のコートを着た人がいたという記憶がある。

 モスクワの後に行ったロンドンは、自分の意思で行った街で、北緯51度30分。だからモスクワが、いままでの私の最北到達地点だった。ちなみに、札幌は北緯43度03分で、モナコマルセイユよりも札幌の方が南にある。こういう事実は、小学生のころ、世界地図を見てびっくりし、中学生になって社会科の授業で、海流や気候によって、日本より北の国がすべて日本よりも寒いわけではないと知った。「メキシコ湾流」という語を思い出す。

 私は昔から「日本の南」に興味があり、熱帯、つまり南北回帰線の間の地域をさまよってきた。ヨーロッパはもちろん熱帯ではないが、「できるだけ南」を旅したいから、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルと、地中海地域を旅してきた。

 「できるだけ南」という旅行姿勢が崩れたのは、去年のチェコ旅行だった。プラハは北緯50度02分。札幌よりはるかに北だが、ロンドンよりも南だ。そして今年、バルト三国ポーランドを旅して、最高北緯が更新された。エストニアのタリンの北緯は59度26分だ。フィンランドヘルシンキなら北緯60度02分だから、「もうちょっとだったな」という気がしないではないが、最北記録を更新することに興味はないから、まあ、どうでもいい。今後、タリン以北に行く気はない。バルト三国を旅したら、その関連でスカンジナビアにちょっと興味はあるが、私のような貧乏人が旅行できる場所ではない。旅行者の話を総合すれば、私にはとてつもなく物価が高い国々らしい。物価といえば、アイスランドはもっと高いそうだが、もともと行く気はないのでどうでもいい。

 イギリスに行く気はないが、音楽への興味でアイルランドには食指が動く。アイルランドは高緯度にあるような気がしていたが、今、改めてヨーロッパの地図を眺めると、アイルランドはオランダやドイツやポーランドと同じような緯度にある。ダブリンは北緯53度20分、リトアニアビリニュスは北緯54度41分だから、バルト三国は、アイルランドよりも高緯度なのだ。

 一年のうちで、昼がもっとも長く、したがって夜がいちばん短いのが夏至で、6月の20日過ぎに、北欧やバルト三国では夏至祭りが開かれる。

 昼がもっとも長いころに、私はこの地を旅をしていた。タリンにいたある日、宿で会った旅行者とカフェで雑談していて、外がちょっと暗くなったので、「ご飯を食べに行きません?」と誘いながら腕時計を見たら、9時50分。もうレストランは締まっている。慌てて閉店準備をしているスーパーマーケットに飛び込んで、水と売れ残りのパンを確保した。

 夜が始まるのは10時半から11時ころだが、夜明けが何時ごろかは知らない。ネットの資料では、エストニアのタリンで、夜明けは2時ごろらしい。夜は3~4時間か。

 

  以下、リーガの夏至祭(6月24日)を前にした花市。頭を飾る花輪は、男用と女用で違うという話を野外建築博物館で聞いたが、詳しい話は覚えていない。夏至祭を前にした市や夜のパーティーは盛んらしいが、24日の昼間は、祭りらしい行事は何も見かけなかった。

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 そんな6月のリーガ。駅前のショッピングセンターの前を通りかかったら、時計は9時をさしていた。もちろん、朝の9時ではない。そろそろ飯を食わないと、食いはぐれる。

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 宿で写真の練習。9時25分の明るい外と薄暗い室内を1枚の写真に収める工夫をした。

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 宿の窓から、駅前ビルが見えるから、体をひねって撮影。午後10時過ぎでも、日陰にならない公園なら、まだ本が読める。真っ暗な夜は、11時過ぎから数時間だけだ。写真をじっくり眺めていた今、気がついたのだが、写真右の、ショッピングセンター入り口のデジタル時計は「10:21」を表示している。左の赤いデジタル時計は「00:24」。アナログ時計の表示が、もっとも現実に近いような気がする。旅の教訓「街の時計を信じてはいけない」。

 更新した後、写真をよく見ると、「10:21」ではなく、「10-21」だから、これは営業時間の表示か! とすれば、「00-24」は、24時間営業ということか? まあ、駅は24時間無休だろうが。写真の教訓「細部をおろそかにしてはいけない。写真の情報を軽々に判断してはいけない」。

 

1323話 スケッチ バルト三国+ポーランド 42回

 危機一髪

 

 リーガのわが宿はリーガ駅の正面にあり、宿から駅方面に行くには、横断歩道を2か所渡って行くルートと、横断歩道とは反対方向にちょっと歩き地下道で駅方向に行くルートがある。

 ある日の夕方、駅から地下道を使って宿に戻る途中、階段を上がっていると、ショルダーバッグに違和感があった。右肩にかけたバッグに誰かが触っているような感触があり、すぐさま右を見ると、私に体を寄せていた男が急に離れ、「NO!  NO!」と叫んだ。バッグのジッパーが5センチくらいあいていた。バッグには、当然貴重品は入れていない。現金もクレジットカードもパスポートも入れていない。スマホはもともと持っていない。貴重品はコンパクトカメラだけだ。

 中東風の顔つきをした若い男3人は、駅方向に逃げ去った。

 たまたま私にぶつかったのなら、「NO! NO!」と叫ぶのはおかしいし、慌てて元来た方向に走って逃げるのもおかしい。あの瞬間の状況をドローンの映像風に想像すると、こうなる。

 私の両脇にふたりの男がピタリとついて歩く。第3の男が私の後ろから手を伸ばし、ショルダーバッグに手を伸ばす。こうすると、私の前方からも後方からも、犯罪の現場が見えない。バッグから何か盗ると、すぐさま別人に品物を渡し、その男は逃げる。盗った男は疑われても、盗品を持っていない。

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 左がリーガ駅とショッピングセンター。右側の建物に我が宿がある。

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 駅のショッピングセンターの塔の最上階はレストランになっているらしい。その右の茶色い建物は、シネマコンプレックスなどがある商業ビル。駅前大通りを渡るには横断歩道か地下道を使う。

 

 ショルダーバッグが狙われたのは、これで3度目だ。

 最初は、リスボンだった。街の中心部からちょっと東にあるファド博物館に向かって歩いているときに、ショルダーバックに違和感があった。ジッパーをあけるようなジリジリという感触が伝わってきた。慌てて振り向くと、私の体に接するほど近くに中年のアフリカ人夫婦がいて、”Oh sorry. This way is to city center?”と男がわざとらしく言った。中心部から外側に歩いているんだよ。わかってるだろ。朝の新宿駅ならともかく、リスボンの路上に人が密集しているわけはない。そういう歩道で、私にピタリとくっついて歩いてきたことが怪しい。にらみつけたら、中心部の方に戻っていった。ジッパーが少しあいていたが、実害なし。

 2度目は、マドリッド。王宮前のオリエント広場を歩いていたら、やはりショルダーバッグに違和感があった。振り向くと若い女がふたり(十代かもしれない)が、私の背後に迫っていた。半径50メートル以内に私とその女二人以外いないという空間で、背後に迫るというのは異常で、私が振り返ってにらんだとたん、背を向けて速足で来た道を戻っていった。

 ショルダーバッグを肩にかけた外国人が、ひとりでぶらぶら歩いている。カネは持ってなさそうだが、警戒光線は発していない。スリは何を狙っているのだろう。今時、高額紙幣をバッグに入れているのは犯罪者だけだろう。少額の現金、クレジットカード、スマホ・・・、バッグに入っていそうな貴重品と言えばそのくらいか? 男なら、現金やカードはポケットの財布に入っていることが多いから、バッグの貴重品はスマホくらいだろうか・・・。

 

 

 

1322話 スケッチ バルト三国+ポーランド 41回

 スターリン・ゴシック

 

 プラハ旅行記で、1950年代に建てられた偉そうな建物のことを書いた。

1232話(2019年2月2日)

https://maekawa-kenichi.hatenablog.com/entry/2019/02/02/101744

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 プラハスターリン・ゴシック、インターナショナル・ホテル。1951年から8年かかって建築したそうだ。

 

 スターリン時代にソビエトの威光を誇示するために建設したビルで、今はインターナショナルホテルになっている。今年春、あのコラムを書いているときにいろいろ調べていて、ポーランドワルシャワにもよく似た建物があると知ったが、まさか数か月後に実際にその建物を見ることになるとはその時は思ってもみなかった。今、このコラムを書いていて思い出したのは、この手のスターリンゴシック建築を初めて見たのはプラハでもワルシャワでもなく、モスクワだったということだ。見ただけでなく、泊っているのだ。当時の名称をホテル・ウクライナと言った。現在はラディソン・ローヤルホテル・モスクワとしてまだ健在だ。

http://hoteresonline.com/articles/3669

 当然ながら、このホテルに泊まりたくて泊ったわけではなく、潤沢な旅費があったわけでもない。1975年、横浜発ロシア経由ロンドン行きの片道ツアーに参加し、メンバーが宿泊するように指定されたのがそのホテルだった。当時のソ連では自分で勝手に安い宿を探して泊まるという自由はなかった。高いホテルに無理やり宿泊させられたのだが、その宿泊費がいくらなのかは知らない。そして、改装した今と違って、当時はこけおどしだけの建物で、内部は暗く、巨大ではあっても豪華ホテルという感じはまったくしなかった。各階に宿泊者監視人がいるようなホテルだ。

 ワルシャワに行く前に出会ったのが、リーガの科学アカデミー。1961年完成の108メートルのビル。気にいらないデザインだが、リーガ中心部を眺めるには悪くない場所にある。陰気臭いオフィスビルだが、入場料5ユーロを支払い、エスカレーターで一気に展望デッキに上がった。

 

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 ラトビアの首都リーガの科学アカデミー。陰気な場所にある。

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 プラハスターリン・ゴシックよりも手が込んでいる。現在はオフィスビルだから、展望台に行く人は専用のエレベーターで上がる。どういう業務をしているのかという興味があったが、自由にフラフラすることはできなかった。

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 展望台は屋上ではなく、最上階よりもちょっと下のベランダに出る。四方を見渡せるのはいいが、この日は曇りだった。展望台から旧市街方向を眺める。写真の下に見える大きな屋根は市場。その向こうに線路があって、ここが駅裏だとわかる。高い塔は、聖ペテロ協会。

 ソビエトの権力を見せつめるような建物だから、ラトビア人は嫌っているという話を読んだことがあるが、「子供のころ、父に連れて行ってもらって何度か行ったことがあるんだよ」と懐かしそうにしゃべる人に会って、まったく嫌悪感を抱いていないようで、「もしかして・・・」と思い、話を聞いていくと、ロシア系住民だとわかった。リーガ市民の半分はロシア系という土地だ。「対ロシア感情」といっても一様ではない。

 

 ワルシャワスターリン・ゴシックは文化科学宮殿という。高さ237メートルはポーランドでもっとも高い建物だ。「地球の歩き方」では1956年完成ということになっているが(「1952年から4年もかけて建てられた」)とあるが、ウィキペディアではポーランド語版でも1955年完成となっている。この建物に登ってワルシャワを見たいという気になれなかったし、併設の博物館にも興味がなかったので、内部に入っていない。

 

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  この文化科学宮殿はワルシャワ駅のすぐ近くにあり、繁華街のそばでもあるので、この近辺はよく歩いたが、内部に入ってみようと思わなかったのは、古いワルシャワナチスによって焼き払われたからかもしれない。

 

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 だから、この2枚しか撮っていない。

 

 長々と書いてきた建築話は今回で終わり、次回からはまた雑多な話が始まる。そろそろ、最近読んだ本の話もしたいのだが・・・。

 

1321話 スケッチ バルト三国+ポーランド 40回

 リーガ 19世紀から20世紀の建物 アール・デコがあるのかな?

 

 19世紀末から20世紀初めにかけて流行したアール・ヌーボーのあと、鉱物をイメージさせる幾何学的デザインを基調としたアール・デコが話題となる。時代的には1930年代あたりからだ。アール・デコは「装飾芸術」という意味だが、ロココアール・ヌーボーほどゴテゴテの装飾はなく、ガラス張りのモダン様式ほどの無愛想ではなく、建築に詳しくない私が「なんとなくいいな」と感じる建築は1930年代あたりのものだ。ただし、私の建築の興味はあくまで一般住宅であって、大通りにそびえ立つ巨大建造物ではない。

 6月24日の夏至祭りは、祝日でほとんどの商店は休業している。30度近い気温の中、人気のほとんどないリーガの街を巡った。「新市街」と呼ばれているが、19世紀から20世紀初めあたりにできた街で、装飾性が少ないのが私の好みにあっている。「これ、ちょっとアール・デコかな?」という建物もあるが、プラハの建築物ほど保全の手が入っていない。簡単に言えば、「汚いまま」というのが多いが、以下、リーガ新市街の建築スケッチだ。

 

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  出窓の鉄線がいい。

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  「何の建物か?」と思って窓越しに内部を覗いて、工場だったという記憶がかすかにあるのだが、はっきりとは覚えていない。調査をしているのではないので、メモなどしていない。

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 どう考えても、ガラス張りのビルよりもこういうビルの方が美しいが、建築費が相当高くなるはずだ。ガラス張りのビルは、壁と窓が一緒だから、工事が実に簡単ですぐにできる。

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 なんだか、ちょっといいでしょ、この入り口。

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 私の好みで言えば、「顔」はない方がいい。建物の装飾がだんだん少なくなり、やがて「豆腐のように白い四角い箱」となるモダン建築の時代になるのだが、その直前の、こういう建築物の時代が好きだ。



 

1320話 スケッチ バルト三国+ポーランド 39回

 リーガ 19世紀から20世紀の建物 アール・ヌーボー

 

 19世紀の末にフランスで始まったアール・ヌーボーは、「新しい芸術」という意味で、植物の曲線をモチーフにしたデザインが特徴。アール・ヌーボーの建築はプラハが有名だが、リーガのアルベルタ通り周辺にもアール・ヌーボーの建築物が集まっている。フランスで生まれたアール・ヌーボーはドイツに伝えられ、ユーゲント・シュティール(若い様式)と呼ばれた。ラトビアの建築はドイツの流れをくむので、ドイツ語のユーゲント・シュティールが使われている。

 リーガのユーゲント・シュティール建造物の多くを設計したのは、サンクトペテルスブルグ出身の建築家で、ロシア帝国支配下にあったラトビアのリーガで仕事をしていたミハイル・エイゼンシュテイン(1867~1921)だ。『リーガ案内』(土曜社)では、「彼は生涯『気が狂ったケーキ屋』として笑いものにされました」とある。リーガ市民の評判は悪かったのだろう。装飾過剰で、まさに「飾りすぎのウェディングケーキ」のようで私の趣味ではない。

 そういうわけで、建築家エイゼンシュテインの名はほとんど忘れ去られているようだが、リーガで生まれ育った息子セルゲイ・エイゼンシュテイン(1898~1948)は、世界に知られた人物だ。私でも見たことがある「戦艦ポチョムキン」などの作品で知られる映画監督で、父親の建築作品を嫌っていたらしい。

 200メートルほどしかないアルベルタ通りとその周辺に、こんな建物が並んでいる。建物の多くに顔がついているので、岡本太郎を思い出した。以下、スナップ写真を紹介する。

 

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 こういう建物の窓に、"TO LET"(貸します)という英語の張り紙があった。外国人は住みたがると思ったのだろうか。

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 これはアルベルタ通りではなく、旧市街で見つけた顔。多くの観光客が歩く地区にあるので、ガイドブックなどで紹介されることもあり、リーガでもっとも有名な「顔」かもしれない。

1319話 スケッチ バルト三国+ポーランド 38回

 木造住宅 その4

 

 ラトビアの首都リーガから鉄道で30分ほど西に走ると、バルト海の保養地ユールマラに出る。気温は30度を越えていても海水温は低いようで、行楽客の目的は海で泳ぐことではなく、太陽の熱に体をさらすことである。水につかる人は皆無ではないが、泳いでいる人は見かけなかった。

 海岸沿いには松林があり、海に沿って道路が走り、そのあたり一帯は高級別荘地である。社会主義時代でも、ラトビアやロシアの共産党や軍の幹部など特権階級が夏を過ごしてきたのだろう。以下、写真でその一部を紹介する。海岸沿いに別荘が並んでいるらしいが、その全貌は見ていない。帰国して、グーグルマップで確認したら、やはり広大な別荘地だった。地区によっては、比較的小さな別荘も多くあるようだ。ラトビア政府観光局の情報でも、ここには重要木造建造物が数百軒もあるらしい。

 

 

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 ユールマラは「海岸」という普通名詞であり、この地域の地名でもある。MAJORI駅下車。ラトビア語のOはuaという二重母音の発音になるので、マユアリに近い音になる。この建物は駅舎らしいが、ホームは野外の吹き曝し。

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 これが河口かと思ったら、池。別荘地は川や池と、海岸に挟まれた細長い地域に伸びている

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 「バルト海を見たい」という気分で、足早に海に。駅から徒歩数分。

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 海は重油を流したように黒い。沖縄の海を見たら、彼らはなんと言うだろうかとふと思った。

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 上の写真も、海岸の更衣室。


 

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 別荘地巡りを始める。新しそうな家でも、古い家をリフォームしたと思われる。

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1318話 スケッチ バルト三国+ポーランド 37回

 木造住宅 その3

 

 街で見かける木造住宅は古い家だ。郊外の新築住宅だと、外壁をモルタル仕上げにしている家もあるので、木造かレンガ造りかは道路からちょっと見ただけではわからない。新築も木造という住宅があるだろうかと思いつつ散歩をしていたら、エストニアのタルトゥの住宅街で見つけた。築後数十年ほどたった家が並ぶ住宅地に、建築中の木造住宅を見つけた。

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 タルトゥの住宅地で、建築中の家を見つけた。傾斜地だから、1階部分(表通りからは地下部分)は鉄筋コンクリートにしてある。

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 表通りの玄関側にまわって、内部を見る。どんな断熱材を使っているか知りたかったが、その工事はまだだった。

 

 考ええてみれば、都市部でも新築の戸建て住宅が圧倒的に木造が多いというのは、アジアでは日本だけかもしれない。韓国では最近木造建築物が多少増えているようだが、そのなかには公共施設や伝統家屋の復元のようなものも含んでいるうえに、韓国人は戸建て住宅よりもアパートが好きという好みの問題もあり、韓国全体で見れば、木造新築住宅というのは、日本よりもはるかに少ないようだ。韓国の住宅に関する日本語の論文が多数読めるので、興味のある方はどうぞ。例えば、これ。

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 アメリカ大陸の木造住宅は、カナダとアメリカには多いということはわかっている。ヨーロッパではスカンジナビアバルト三国ということもわかっているが、東欧や旧ソビエト圏の事情はわたしにはわからない。『地球生活記』など、世界の家を撮影している小松義夫さん(敬愛するひとりだ)に、この木造住宅の話をすると、「ロシア全体はわかりませんが、シベリアの方は材木が豊富なので、木造住宅はたくさんありますよ」とのことだった。

 「日本は木の文化、外国は石の文化」など決めつけない方がいい。

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 タルトゥの高級ホテルなどが立ち並ぶ一角に、廃墟となった家を発見。ちょっと気になる点があって、近づいた。

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なんだ? 丸太が見えるぞ。

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 なるほど。レンガで地下室と基礎を作り、その上に丸太の家を建て、外壁は土壁にしてあるという「家の歴史」が、この部分からうかがえる。日本では、竹を格子状に組んだ竹小舞(たけこまい)の上に土を塗り込んで壁にするのだが、竹がないここでは細い木を使っているのもわかる。

 

 

 

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 こちらは、ラトビアのリーガ。新市街にも木造住宅が残っている。

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 この家は3つの窓をふさいでいるから、住人はいないらしい。

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 こういう大きな建物だと、外壁は板張りだが骨組みも木かどうかわからない。

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 この家の下見板張りはやや新しそうだ。

 

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 この一角は、こういう新築木造家屋がいくつかあり、事務所や店舗になっている。この裏手にはやはり新築のアパートがあり、そのアパートの住人である若い女性が、この地区の説明をしてくれた。ここは、「レトロ風新商業地区」という感じがした。雑誌の見出し風に言うと、「今、木造が新しい!」。

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 ここは多分リフォームだと思う。こういう建物を壊してガラス張りの高層ビルを建てない所がいいのだが、それは環境やデザイン思想によるものか、あるいは大きな商業ビルを建てるような需要がないという経済事情によるものなのかは、わからない。