7話 情報の万引き

  もう10年くらい前になるだろうか、新宿の紀伊國屋の社会科学の書棚で変な声が聞こえた。話し声ではなく、小声で早口でしゃべる声だ。なんだろうと思って 声の方を見ると、30代初めくらいの男がふたり棚の前に立っていた。ひとりは分厚い事典を開き、記事を読んでいる。もうひとりはノートをとっている。この 事典は専門的な本だから、ふたりはおそらく大学の講師だろう。 図書館と本屋の区別がつかない人がいるようだ。
 ある書店員の話では、店の本をカウンターに持ってきて、「ここのページをコピーしてくれ」と言った人がいたという。
「それはできません」
「いいじゃないか。コピー代は払うんだから」
「それは商品ですから」
「コピーしたって減るもんじゃなし、売れなくたって返品すりゃいいんだから、ケチなことを言うんじゃない」
 紀伊國屋で目にした事典は、知人が編集したものなので、その知人と会ったときに事件の顛末を話した。すると、こんな話をしてくれた。
 ある日、ある新聞社から電話があった。やはり知人が編集した事典に関する問い合わせだと思った。「はい、現在も発売中ですので、書店で探すかご注文くだ さい」と答えると、「いや、○○と××の項目の部分をコピーして、ファックスで送って欲しいんですよ」。その新聞記者も、書店のアホな客と変わらない。
 図書館と本屋の区別がつかない人がいるようだ。
 つい先日、新宿南口の紀伊國屋で、携帯電話をかけている若い女がいた。「まったく……」と思っていたが、会話の内容からどうもただの世間話ではないこと がわかった。各社の旅行ガイドブックを次々に手に取り、ある項目を読んでいるのだ。彼女は多分ライターか編集者だ。原稿を校正するために書店に来たらし い。
 情報を売って生活している人たちが、書店で盗みをしている。