10話 『東南アジアの三輪車』をめぐる本 1


 東南アジアの人力車や三輪車について調べていたころの話だ。
 東南アジアの人力車や三輪車に関する英語の本を読んでいると、しばしば引用される文献があって、そのなかでどうしても読んでおきたい本が三冊あった。東 南アジアの都市交通に関する本と、ジャカルタの歴史の本と、バングラデシュの三輪自転車に関する本だ。ジャカルタの歴史の本は丸善で問い合わせると、すで に絶版になっていることがわかった。あとの2冊はネット上でもその存在が確認できなかった。
 バングラデシュに行こうかと思った。私が書こうとしている本では、インド亜大陸は範囲外として扱わないことに決めていたが、基礎知識を仕入れるためには ぜひ読んでおきたい本だった。バングラデシュは、かつて乗換えのためにダッカ空港で5時間ほど過ごしたことがあるだけなので、この機会に行ってみてもいい かと考え始めていた。
 そんなころ、バングラデシュで活動しているNGO団体「シャプラニール」の幹部である福澤郁文さんに会った。バングラデシュの三輪車の話をあれこれうかがうなかで、その本の話をした。"TheRickshaws of Bangladesh(バングラデシュのリキシャ)"(BobGallager,University Press,Dhaka,1992)という本だ。バングラデシュで出版された本だから、現地に行かないと入手できそうにない。
「ああ、あの本ですね。いま手元にあるけど、読みたければお貸ししますよ」
 ダッカに行っても手に入るかどうかわからないが、それでもとにかく探しに行ってみようかと思っていた本が東京にあり、書名を口にして1分後には、「はい、これ」と目の前にその本が姿を見せた。世の中にはこういうこともあるのだ。
 その本を借りて、さっそく読んだ。大事な本を貸してくださったのだから、すぐ読んですぐ返さないと申し訳ない。私は、本を借りたままにしている人に腹が 立つから、自分が借りたときは、すぐ読んですぐ返すように心掛けている。しかし、この本の場合は厚い本であるにもかかわらず非常におもしろかったので、す ぐに要点だけは読取れた。最重要だと思われる部分をコピーして、数日後には郵送した。
 この本の著者はバングラデシュで10年ほど暮らしたイギリス人の大学教授で、機械や交通の専門家である。人間工学的にみて、もっとも効率のいい三輪自転 車の設計もしているし、三輪車(三輪自転車と三輪自動車)の歴史や文化についても言及しているので、この本は「バングラデシュの三輪車大全」とでもいった 名著だった。
 この本を日本で読むことができたので、バングラデシュ旅行は中止して、乏しい取材費は東南アジア取材にあてることにした。私の代わりというわけではない が、蔵前仁一さんがガイドブック取材のために、バングラデシュに行った。帰国後、「おみやげです」と蔵前さんから送られてきたのが、この三輪車の本だっ た。本が痛むのが心配で、一部のページしかコピーしていなかったので、このおみやげはありがたかった。時間を気にせず、ゆっくりと再読できた。
 ジャカルタの歴史の本は、インドネシアの友人が一冊分をコピーしてくれた。あとの一冊はどうしても入手できなかったが、なんとか原稿が書けそうな気がし てきた。取材は充分ではなかったが、充分な取材などできるわけはないので、「よし!」と気合いを入れて一気に原稿を書いた。