12話 『東南アジアの三輪車』をめぐる本 3


  すずらん通りで買った『リキシャ追跡』の著者名を見て、驚いた。トニー・ウィーラーだ。ガイドブックを出版するロンリー・プラネット社の創業者であり、社 長である。この本の著者紹介を要約すれば、こんなふうに書いてある。「パキスタンで生まれ、バハマアメリカで育つ。1972年のアジア大旅行をきっかけ にガイドブックを出版するロンリー・プラネット社を設立。そのアジア旅行のときから、人力車や三輪自転車に興味をもっていた」。
 なんだ、私と同じじゃないか。私も73年のアジア旅行以来人力車や三輪車に興味を持ったが、資料集めに時間がかかり、本にまとめるまでに26年かかって しまった。例えば、サイゴンのシクロに限定すればもっと早くまとめられるのだが、全域とは言わないが、アジアのかなりひろい地域に範囲を広げ、その歴史な ども考えるとなると、そう簡単には調査はできない。
 四半世紀をかけた『リキシャ追跡』は、さすがに力作で、元エンジニアらしくリキシャ作りにも言及している。人間にも目を向けている。文章ページはわずか に7ページしかない。写真ページにも文章がついているが、文章量は多くない。いまもカルカッタに残る人力車について説明するには日本の人力車事情から話を 始めなければいけないのだが、この部分の記述が弱い。明らかな間違いもある。私は『人力車』(齋藤俊彦、クオリ、1979年)という名著を参考にすること ができたが、日本語が読めないトニーはこの名著を参考にはできない。気の毒なことだと思うと同時に、人力車研究に関しては日本語文献が読めることの幸せを 実感した。逆にいえば、こうした恵まれた環境にありながら、いままで日本人は『人力車』を書いた齋藤俊彦さん以外、人力車とその後の三輪車事情についてほ とんどなにも書いてこなかったということだ。
 この四半世紀に、アジアで同じようなことに興味を持っていた同好の士がいたことがうれしくて、『東南アジアの三輪車』をオーストラリアに送った。そのま まではなんの参考にもならないから、年表部分を英訳し、いくつかの写真にも英語の説明を加えた。『リキシャ追跡』のなかで、明らかに間違いだと思われる部 分の指摘もしておいた。例えば、日本で人力車が急激に普及したきっかけは、明治天皇が人力車に乗って東京を移動したからといった記述は、当時の時代背景か らしても、およそ考えられないことだからだ。
 しばらくして、トニー・ウィーラー自身から礼状と手紙が届いた。
「三輪車に関する本を送っていただきありがとうございます。あんなおもしろい乗り物に興味を持つ人がほかにいたとわかった、とてもうれしいですよ。明治天皇に関する記述は、とてもおもしろい次の本に出ていた話です」
 そのあとに書いてある本の名前は、『バングラデシュのリキシャ』。やはり、参考にできる本はこれだ。しかし、人力車について書いた部分はやはりおかしい と思う。明治天皇が人力車に乗ったという話は齋藤さんの本にも出てこないし、私の認識でも天皇が人力車に乗って東京を移動するなんてことは、考えられな い。
 蔵前さんからの電話で知った本は、神田神保町を経由して、著者のトニー・ウィーラーから手紙をもらうという結末となった。