47話 魔界に足を踏み入れて(1)

  肩を押されて


 ついに、禁断の世界に足を踏み入れてしまった。
 そこが魔界だとわかっているから、けっして足を踏み入れていけないと常々自分に言い聞かせていた。境界線の向こうで待ち受けているのは麻薬のようなもの らしく、束の間の快感のあとには、苦渋の生活が待っていると容易に想像できた。だから、境界線ぎりぎりまで近づいても、けっして足を踏み入れることはしな かった。ところが、ある日、境界線のすぐ脇に立っていたら、肩をそっと押され、バランスをくずし、右足を踏み出してしまったのである。左足はまだ安全圏に はあるものの、右足は禁断の世界に踏み込んでしまった。私の肩を押し、魔界に押し出したのは、かの蔵前仁一さんである。
 仕事上、雑多なことを無数に調べなくてはならなくなって、コンピューターを導入した。雑多な調べもののなかでもっとも効果を発揮したのは、本の履歴だっ た。ある本の出版年や、正確な書名、そして同じ著者による出版リストや、同傾向の本のリストなどの検索だった。それには、主に国会図書館の検索サービスを 利用したのだが、現在でも入手できるかどうかという調査は、Amazonや各出版社のホームページなどを利用した。
 コンピューター導入時にもっとも危惧していたのは、インターネットを利用して、本をどんどん買ってしまうのではないかということだった。友人知人の話で も、書店で見つからない本でも、インターネットを使えば、世界の本がすぐ入手できるらしいし、事実、検索作業を繰り返していれば、ちょっとした操作で買え るらしいということもわかってきた。
 しかし、本はやはり書店で現物をチェックしてから買いたかった。多忙な生活を送っているわけでもなく、神田神保町からはるか遠く離れた地に住んでいるわ けでもないのだから、本は書店で現物にあたってから購入すればいいと思っていた。書店で現物を調べた本ならすべておもしろいというわけではなく、買ってみ たものの、まったくおもしろくなかった、あてがはずれたという例は少なくないものの、やはり本は実際に手にとってから買いたかった。
 古書の場合はどうか。「アジア」「海外旅行」などをキーワードに検索してみると、いくつもの古書店がひっかかり、ワクワクしながらその目録を眺めてみた が、多くの本はここ5年か10年ほどの間に出版されたものばかりで、書店での選別作業をすでに終えていた。触手を動かされるような本は、まったく見つから なかった。なんだ、インターネットといったって、たいしたことはないじゃないか。インターネットで検索作業をすれば、狂喜乱舞するような新発見の資料が続 々とモニター画面に登場し、そのすべてが欲しくなり、ATMカードを握り締め銀行に走るか、カード破産をするかもしれないという危惧は、杞憂に終わった。 なーんだ、この程度か。
 ところが、である。
 日に日に検索作業が熟達し、「おお、こんな本が、こんなに安く売られているのか」という発見をするようになった。インターネットを甘く見ちゃいけないよと、お説教されているような気分になっていた。