48話 魔界に足を踏み入れて(2)

 ついに注文してしまう


 ある夜、巨大な旅行関係の古書サイトがあるのを発見した。何年もインターネットで遊んでいる人には、「なんだよ、そんなもん」と言われそうだが、私は初心者中の初心者で、しかも、コンピューターのことなど勉強したくもないのだから、発見はいつも偶然によるものだった。
 そのサイトには、1万数千冊の旅行書がリストアップされていた。
 よーし、朝までかかっても、じっくり見てやろうじゃないか。
 玉石混交の内容ではあるが、じっくりリストを読んでいくと、目をひく書名もあった。かねてより、探求書リストに入っている本もあった。気になる本をメモ しておこうかと思ったが、[カートにいれる]をクリックすれば、興味がある本のリストが自然にできあがることに気がついた。
 この古書リストを全部見てわかったことは、「安い」ということだ。1000円以下の本がほとんどで、プレミアがつく本などほとんどない。旅行業界の内部資料とか、重要な資料になりそうな私家版の本もなかった。それでも、昨今の古本屋では見かけなくなった本もあった。
 安さの謎はすぐにわかった。例えば売価500円の本でも、送料と振替え手数料か代引き手数料を加えると、実際に払う金額は1000円を越える。しかも、 それぞれの料金が出店している古書店ごとにかかるから、安い本を買うと、本の代金よりも送料や手数料のほうが高くなることになる。
 とはいえ、神田でこうした本を探すとなると、交通費はかかるし、本は簡単に見つからないのだから、送料や手数料はしかたがないといえる。
 カートに入った数十冊の本を眺めて、考えた。買おうか、買うまいか。そのまま数日たった。冷却期間をおいたあと、試しに、恐る恐る、[購入する]をクリックしてみた。すると、パスワード云々という表示が出てきて、訳がわからないので、それ以後の作業は中止した。
 そんなとき、蔵前仁一さんから電話があって、雑談のなかで、例のパスワードの話をした。
「ああ、それはねえ、こういう風にやれば簡単で……」と教えてくれた。
 一部の人たちにはよく知られていることなのだが、蔵前さんは素人に物事を教えることに非凡な才能がある人で、簡潔でわかりやすい。私はいたって素直な性 格なので、教えられたとおりにやってみれば、あら不思議、次々に購入できていく。これも購入、あれも購入と、調子に乗って[購入する]をクリックをしてい くうちに我が身の将来が不安になって、知人が書いた本はそのまま残し、内容に疑いが残る本も削除し、しかし比較的高額の本は勇気をふり絞って[購入する] をクリックした。たちまち十数冊の購入が決まり、期待と不安が入り交じった気持ちに包まれた。不安といっても、注文した本が届かないかもしれないという不 安ではなく、このまま古本の魔界に身を落とし、支払いに苦労するかもしれないという不安である。読みたい本は、旅行関係書だけではない。ルポルタージュ も、芸能の本も、あらゆる雑多な本を読んでみたい私は、右足を魔界に踏み出したものの、左足はこの世に残したままにしていた。そのくらいの自制心はまだ 残っている。