49話 魔界に足を踏み入れて(3)

 『旅の技術 アジア篇』のことなど


  インターネット古書店に注文を出して数日後から、本が到着し始めた。実をいうと、注文した本のなかで、その存在をまったく知らなかった本というのはほとん どない。ネット上では、その本の内容がよくわからないからという理由もあるが、書名などから「おもしろいかもしれない」と予感させるような本がほとんどな かったからでもある。
 そういうなかで、唯一、その本の存在を知らなかったのが『地球を旅して 貨物船機関長の航跡』(吉野克男、日本海事広報協会、1993年)だ。著者は 1931年生まれで、52年から86年まで日本郵船で船員生活をした。船員になろうとした動機は、外国へのあこがれだった。
 素人が書いた本のよさが発揮された本である。自伝部分を極力押さえて、船員としての個人的体験談だけではなく、海運業界の戦後史にも言及しているところ が「買い」だ。1ドルが360円時代、船員が使える外貨はひとつの港で5ドルまでと決まっていた。その金額で買えるものといえば、コーヒーや砂糖、ハー シーのキスチョコくらいなもので、もっぱら利用したのは救世軍が運営している不用品店だった。そこで古着を大量に買って、日本で売る船員もいたそうだ。今 は、日本の中古車を買っていくロシア人船員がいるが、それほどの外貨は昔の日本人船員にはなかったのである。
 『旅の技術 アジア篇』(旅の技術編集室編、風濤社、1976年)をやっと買い戻した。この本は出版された76年に買ったのだが、その直後に知人に貸し て、そのままになっている。70年代後半の若者の旅行事情を知る貴重な資料なので、購入を決めた。この本が自宅に届いて初めて気がついたのは、届いた本が 77年の第二刷だったということだ。増刷されていたなどとは、まったく知らなかった。この本の著者のひとりで、当時は大学生だった西澤治彦さん(現・武蔵 大学教授)が、「あの本が売れたら、アジア篇のあといろいろ出したいと思っていたけど、売れなくてねえ。あれ一冊で終わっちゃいました」と言っていたの で、よもや増刷されていたとは思わなかった。
 1976年というのは、船の旅がそろそろ終わりを告げ、しかし格安航空券はまだ黎明期という時代だった。当時はこんな船旅もできたという例を、本書から紹介してみよう。
 ■日本からアフリカへ
 横浜から香港までバイカル号で、5日間3万円。香港からシンガポールマラッカ海峡をこえペナンまでタイプシャン号で。7日間5万円。ペナンよりインド 洋を西へ、マドラスへはラジュラ号で。7日間5万円。デカン高原をまわってボンベイより、カラチを経てアラビア海を下りアフリカ東海岸を経由して、南アフ リカ共和国のダーバンまではカランジャ号で、約3週間12万円。
 この本は前半が脚注に情報を入れたエッセイ編、後半が詳細な旅行情報を載せた資料編になっている。エッセイ部分は、良くも悪くも大学生のエッセイで、さ ほどおもしろくないが(76年当時もそう思った)、資料編は当時の旅行事情がわかるという点で、文字通り資料になる。